「永遠の0」を観てきました

本日、以前から気になっていた映画「永遠の0」を観に行ってきました。原作は百田尚樹氏。小説家としてはこの作品がデビュー作なのですが、文庫版の販売部数は300万部を突破しているそうです。すごいですね。

僕はこの作品を友人から勧められて購入してはいたものの、結局読まずじまいで先に映画を観てしまいました。

あらすじはご存じの方も多いと思いますが、第二次世界大戦時の零戦パイロットの人生を描いたお話です。物語の進行はリアルタイムではなく、現代に生きる主人公の孫たちが祖父のことを調べながら当時を振り返る、という形で進んでいきます。140分越えの大作でしたが、テンポよく進んでいくので、あまり長いとは感じませんでした。というよりむしろ、描き切るには尺が足りなかったのか、いささか説明不足だなぁと思った部分もありました。気になる部分がいくつかあるので、これから積んである原作を読んでみたいと思います。

映像の方はCGが良くできているなぁと思いました。個人的な趣味かもしれませんが、空中戦のシーンは興奮しました!迫力という意味では、映画館で観て正解だったと思います。

さて、僕が映画を観て感じたことを書きたいと思います。

まず、やはり戦争というものは決して起こしてはいけないものなんだなぁ、ということです。こんなの当たり前過ぎて今さら書くようなことではないんですが、この映画を観て改めて強く思いましたね。戦争で亡くなった方にも当然家族がいて、それぞれに人生があり、夢があった。戦争を知らない世代としては、そんな当たり前のことも能動的に考えようとしなければなかなか意識することがありません。この作品はフィクションですが、改めてそんなことを考えるきっかけになったと思います。やはりストーリーやビジュアルの力は凄いですね。

それからもう一つ。今の僕らの価値観では、特攻なんて発想は正気とは思えません。劇中のセリフにもありましたが、そんなものは戦術でもなんでもない。でも、当時の彼らにはそうするしかなかったんですよね。彼らにもやはり死にたくない、怖い、そんな思いはあったはずです。しかしそれでも自分が命をかけることで、国を、家族を守りたいと思い、自らを奮い立たせて散っていったのだと思います。その気持ちに対して、僕は心から敬意を表したいと思います。

ちなみに個人的な話なんですが、この作品、僕にとっては少々思い入れのある作品になりそうです。というのも、僕の祖父は戦争中、海軍で飛行機乗りをしていました。僕がまだ小学生の頃、夏休みに「戦争を経験したことのある人から話を聞く」という宿題が出されたので、祖父に戦争の話を聞いたことがあります。僕が祖父から直接戦争の話を聞いたのは後にも先にもこれが最後だったのですが、この映画の状況にとてもよく似ていました。

祖父は終戦直前は特攻隊にいたそうです。特攻隊は皆さんご存知の通り、飛行機に乗って敵艦に体当たりを行う部隊です。当然生きては帰れません。ある日祖父は出撃したのですが、直後に脚が機体に収納できないことに気付いたため指示を求めたところ、帰還せよということで引き返したそうです。そして次の出撃をする前に終戦となり、九死に一生を得た、と話してくれました。飛行機の脚が壊れていなければ、他の隊員の方と同じく命を失っていたでしょうし、そうなれば僕もこの世に生まれることはありませんでした。劇中で故・夏八木勲さんの「これは特別な話ではない」というセリフがありましたが、もしかすると似たような話は沢山あるのかも知れませんね。

一方で、祖父の「自分だけ生き残ってしまった」という言葉がとても印象的でした。当時小学生だった僕にはよくわかりませんでしたが、今ではよくわかります。また、戦争が終わってからも、夢でよくうなされたという話も母からよく聞きました。飛行機での攻撃は急降下して行うそうなのですが、地面がどんどん近づいてくるのに操縦桿が効かず、叫び声とともに飛び起きる、ということがよくあったそうです。そんな生々しい話を、僕はかろうじて祖父から聞くことができましたが、これからはそんな話を聞くことも難しくなってきますね。

歴史感については人それぞれだと思うのですが、僕もこの映画を観て改めて色々と考えることになりそうです。それと手元に、祖父が実際に乗っていた「流星」という飛行機の模型があるので、少しずつ組み立ててみようと思っています。誰か綺麗な塗装の仕方を教えてください(笑)。

近々原作も読むつもりので、読んだらまた感想を書きたいと思います!

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