ユーザーイリュージョン

今日は、トール・ノーレットランダーシュ 著の「ユーザーイリュージョン 意識という幻想」という本をご紹介したいと思います。著者はデンマーク人で科学ジャーナリストの人物。この本のデンマーク語版は13万部(人口比で換算すると、日本では250万部相当)も売れ、以来8ヶ国で翻訳・出版されたということです。

500ページを超える大書で、価格も4,200円とかなり読み応えのある本です。僕は以前から読みたいと思っていたのですが、幸運にも近くの図書館で見つけることができたので読んでみることにしました。

この本の主題は「意識」です。タイトルにユーザーイリュージョンとありますが、これはパソコンのユーザーインターフェースを考えるとわかりやすいでしょう。パソコンの画面にはデスクトップがあり、フォルダやゴミ箱が配置されています。しかし、実際にそこにフォルダやゴミ箱があるわけではありませんよね。意識も同じだということです。イリュージョン(幻想)とある通り、意識とは幻想、錯覚なのだというお話です。

この考え方自体は以前にも神経科学の本で読み、既に知っていた論点なのですが、本書はそれをものすごく掘り下げていったという感じです。また、扱っている分野も極めて多岐にわたります。始めて聞くような分野の話も沢山あり、僕も正確に把握できていないので訳者あとがきから引用してみましょう。

さて、本書「ユーザーイリュージョン」だが、著者の構想の雄大さと知識・調査範囲の広さには圧倒される。物理学、熱力学、統計力学、情報理論、サイバネティックス、心理学、生理学、生物学、哲学、社会学、歴史学、宗教、倫理と、様々な分野に話がおよび、カオス、フラクタル、エントロピー、ブラックホール、複雑系、ガイア、「外情報」、「私」、「自分」といった用語が飛び出す。

本当に、著者の守備範囲の広さには圧倒させられます。情熱というか、この本に対する思い入れが伝わってきます。それでいて、難解すぎることもなく、文系の僕でも最後まで読み切ることができました。扱っている話題が話題なので、決して読みやすい本とは言い難いかも知れないですけどね。ただ、知的好奇心をこれでもかと刺激してくるので、なかなか良いペースで読めたと思います。

さて、構成を見てみましょう。本書は4部構成になっていて、メインとなる「意識」について書いてあるのは2・3部です。1部は主に熱力学、情報理論について書かれており、4部ではガイア、カオス、フラクタルなどが紹介され、結びへと繋がります。手っ取り早く「意識」についての話を知りたい方は、2・3部だけを読んでも十分に楽しめる内容だと思います。

では、この本で僕が学んだこと、なるほどと思った論点の中からいくつか紹介したいと思います。

まず、「情報」について。通常、ある物事についての情報を誰かに伝えようとする際、その物事について「そのまま」伝えるというのは難しいですよね。縮尺が1/1の地図を作るようなものです。普通は膨大な情報の中から、伝える必要のない情報を捨て、纏め、編集して伝えるということをします。この本によれば、実際に伝えられた情報そのものはたいして重要ではないのだと言います。重要なのはその情報が発信される前までに、どれだけの情報が捨てられてきたか、それが情報の深さを表しているのだと。

これは、僕たちの通常の感覚には反します。情報量が多い、といった場合、伝えられるメッセージそのものの量が多い、という風に解釈しますが、情報理論では捨てられた情報の量で情報量を計るようですね。

この考え方を知って個人的に思ったのは、情報が氾濫している昨今で、如何に情報を捨てるかということの重要性は、どんどん高くなってきている気がします。膨大な情報の中から取捨選択し、自分なりにどう理解するのかが重要ですよね。仕事で何かを調査する場合などでも、調査した資料をそのまま提示しても、何も伝わりません。その中に何らかの意味を見出し、メッセージとして集約する作業が必要になります。

続いて話は「コミュニケーション」へと移ります。上記の考え方で行けば、伝えられるメッセージは、既に大量に情報が処分されたものである可能性が高い。なのに、何故伝わるのか、という問題です。これを考えるために、この本ではコミュニケーションのプロセスが紹介されているのですが、なるほどと思いました。

まず最初に、発信側が考えます。何かの経験や感情、記憶などを集約しメッセージを作る過程で沢山の情報が捨てられます。充分に集約されると、最後に何かしら口に出して言える言葉が残ります。これが会話を通して相手に伝わります。伝えられる側では、伝わってきた言葉に込められた意味を明らかにするために頭の中で解きほどかれます。集約→伝達→展開、というのがコミュニケーションなのだ、という考え方ですね。

物事を伝えるには如何に集約するか、物事を理解するには如何に展開するか、という考え方はとてもわかりやすいと思いました。集約前の情報と展開後の情報が似たようなものになったとき、「伝わった」ということになります。

さて、この辺りから意識の話に入ります。僕たちの無意識は、日々膨大な情報を処理していると言われます。そのうち、意識の上るのは100万分の1だとか。実際に僕たちの行動の大部分は無意識のうちに行われていると言います。それ自体も驚くべきことなのですが、意識は、それだけの情報をリアルタイムに捨てていると考えることができます。それだけの情報処理をするのには時間がかかるはず、ということで本書のテーマである「0.5秒」という内容に入っていきます。

この0.5秒という数字、人が行動しよう!と意識する0.5秒前に脳の中では既に行動を開始する脳波が出ている、という実験や、人が何かを知覚する際、刺激より0.5秒遅れて自覚する、という実験から導き出されたものです。しかし、何か刺激を受けると、僕たちは即座に反応しますよね。これは、脳が時間の繰り上げ調整を行って、リアルタイムに経験しているようにしているためにそう感じるのだそうです。じ、時間の繰り上げ調整!?

意識や脳に関する本を読んでいると、こういう刺激的な内容がどんどん出てくるんですよね。この本も例外ではありませんでした。錯覚の話なども出てきますが、結論として導かれるのは、意識というのはユーザーイリュージョン(つまり幻想)であって、僕たちは「ありのままの世界」を経験しているわけではない、ということになると思います。

こういう話を聞いてどのように解釈するのかは人それぞれだと思いますが、訳者あとがきに、それに関する著者の主張がうまくまとめられているので、それを引用しておきたいと思います。

そこで、人間は意識がイリュージョンであることを自覚しなければならない。意識ある「私」と無意識の「自分」の共存が必要だ。「私」が自らの限界と「自分」の存在を認め、「自分」を信頼し、権限を委ねることが「平静」の鍵となるというのも、理にかなっている。

さらに、本文で僕が気に入った一節も。

人はお互いについて、意識が知っているよりはるかに多くを知っており、またお互いに対して、意識が知っているよりはるかに多くの影響を与え合っているからだ。人間はなんとしても、自分が身体の芯から正しいと思うことをやらなくてはいけない。なぜなら、その効果は私たちが意識しているより大きいからだ。
私たちは自分の行動の主導権を意識に委ねてはならない。意識を働かせ、熟慮したうえで、最も適切だと思えることだけを実行するようではいけない。直感に従って行動すべきだ。

如何でしょうか。無意識の存在を認め、信頼し、ある程度委ねるべきだ、という主張がなされていますね。無意識も含めて「自分」なのだという認識を持ち、無意識の反応である直感を信じろということなのでしょう。

自分のことは全て把握しているというのは、少々思い上がりなのかも知れませんね。自分についてでさえ、知っているのは一部分であるし、知らない部分も含めて自分なのだから、どちらの自分も喜ぶような生き方を目指したいものです。そういう生き方が出来た時、著者の言う大きな「効果」が生み出せるのかも知れません。

この本は纏めるには内容が充実しすぎていますし、僕が無知な故に間違って解釈している部分もあるかと思います。こういう内容に興味を持たれた方は、是非本書を手にとって読んでいただけたらと思います。色々なことを考えさせてくれると思いますよ!おすすめです。

サーチ! 富と幸福を高める自己探索メソッド

今日は、チャディー・メン・タン 著の「サーチ! 富と幸福を高める自己探索メソッド」という本をご紹介します。著者はGoogleの人材育成担当者で、実際に行われているGoogleの研修プログラムを「オープンソース」として広めるために本にしたものだそうです。

プログラムの共同開発者は「EQ こころの知能指数」で有名なダニエル・ゴールマン。この人が関わっているのと、Googleではどんな研修が行われているのか、という興味から手にとって読んでみました。

この本のテーマはやはりEQ。対人関係や仕事の能力に影響するとされる、「情動的知能指数」のことです。著者はこのEQの中核を成すのは自己を知ることであり、そのためには「マインドフルネス」という心のトレーニングが重要だと説いています。

EQの詳しい解説はここでは省略しますが、EQは以前ご紹介したハワード・ガードナーの言うところの、「内省的知能」と「対人的知能」と対応しています。自分を省みる能力、他者と共感する能力、ということなのですが、その基礎となるのがやはり自己との対話、つまり自分をよく知ることなのだと思います。

では、ここで出てくる「マインドフルネス」とは何なのでしょうか?マインドフルネスの定義は色々あるようですが、「特別な形、つまり意図的に、今の瞬間に、評価や判断とは無縁の形で注意を払うこと」あるいは「自分の意識を今の現実に敏感に保つこと」などと言われているようです。そして、このマインドフルネスを鍛えるために瞑想をせよ、と言うのです。

瞑想?そう、瞑想です。正直、僕は今まで瞑想というものを科学的に捉えたことはありませんでした。自己啓発系の本を読んでいると、結構瞑想の話が出てくるのですが、「何か怪しい」という理由であまり注意を払ってきませんでした。僕はスピリチュアルな考え方は嫌いではありません。が、いざ自分が実践するとなると「何故それがためになるのか」という問いに納得できないとなかなか手が出ないのです。

しかし、この本を読んで瞑想に関す捉え方がガラッと変わりました。著者はこう言います。

瞑想には謎めいたところは少しもない。じつのところ、瞑想はたんなる心のトレーニングにすぎない。

よく考えてみれば著者はGoogleの社員で、元エンジニアだと言います。その彼が「瞑想が重要だ」と言うのはなかなか面白いですが、近年の神経科学の発展により、瞑想の効果が科学的にどんどん証明されているのだと言います。それどころか、あのダライ・ラマも瞑想の科学的な研究に好意的だと言います。以下はダライ・ラマの著書より。

もし科学的分析によって、仏教の主張の一部が誤りであることが決定的に立証されるようなことがあれば、私たちは科学の発見を受け入れ、誤った主張は捨てなくてはならない。

というわけで、僕も瞑想をやってみよう!という気になりました。しかし、なんか難しそうだしちゃんと続けられるだろうか、という心配もあります。ご心配なく、この本ではかなり低いハードルで、誰でも気軽に瞑想を体験し、持続できるような方法を沢山紹介してくれています。しばらく寝る前に少しずつ、瞑想をしてみようと思います。

さて、瞑想によってマインドフルネスとやらを鍛えたとして、どんな良いことがあるのでしょうか?瞑想とはつまり、自分の「注意」をコントロールする心の技術なのだと言います。自分の注意を意のままにコントロールできれば、自分の情動がどこに向いているか、自分はどんな人間なのか、などを明確に把握できるようになるそうです。そして自分をよく知るということは、自信に繋がります。

他にも自己統制、自己動機づけ、共感やリーダーシップ、こういったもの全てにマインドフルネス、つまり自分の注意をコントロールする能力が関わっているというのです。

自己認識(自分との対話)と他者との共感に一体どのような関係があるのかと疑問に思いながら読んでいたのですが、どうやら自己認識と共感は、使っている脳の部位が似通っているそうです。つまり、自己認識が優れている人は、共感能力も高いというわけですね。

さて、読んでいるだけでもとても面白いこの本ですが、実際にGoogleで高い効果を上げているとのことですので、是非僕もやってみようと思っています。興味がある方は、是非読んで、そして実際に試してみて頂きたいと思います。

個人的には、僕もエンジニアの端くれであること、そしてどういう訳か今は「人がよりよく生きるにはどうすればいいか」にとても興味があること、などの点で著者に親近感を抱きました(もちろん、ステージは全く違いますが)。彼の人生の目的は、この「サーチ!」というプログラムを通じて世界を平和にすることだそうです。

僕もゆくゆくは自分の考えを纏めたプログラムを作って世の中に広めていきたいと考えています。そういう意味では、著者の考え方、アプローチ、そして出来上がったプログラムも、全てとても参考になったと同時に、刺激にもなりました。大きな目標や夢を持っている方は、そういう視点で読んでみても面白いかと思います。

なぜビジョナリーには未来が見えるのか?

今日は、エリック・カロニウス 著の「なぜビジョナリーには未来が見えるのか? 成功者たちの思考法を脳科学で解き明かす」という本をご紹介したいと思います。著者はウォールストリートジャーナルやニューズウィークなどで活躍しているジャーナリスト。脳科学の棚にあった本ですが、専門書ではないのでとても読みやすいです。

さて、「ビジョナリー」とは何でしょうか?将来を見通す力、つまりビジョンを持った人のことをビジョナリーと呼んでいるようです。ただ、ビジョンを持っているだけでなく、そのビジョンを実現するためにはどんなことも厭わない、そんなニュアンスも含まれています。この本に出てくるビジョナリーは、ヴァージングループのリチャード・ブランソン、アップルのスティーブ・ジョブズなど、いわゆる成功者と呼ばれる人たちです。

今まで、彼らの成功の秘訣を解き明かそうとした本は沢山ありましたが、この本の面白いところはそれを脳科学の観点からやろうとしたことだと思います。脳科学は近年急激に進歩し、様々なことがわかってきています。「はじめに」では以下のように語られています。

とりわけ、脳が「ビジョンをもたらす装置」であるという発見が興味深い。脳には元々、私たちの思考に「像」をもたらし、実在しないものの青写真をつくる機能が備わっている。また、脳には顕在意識で解決できない問題を無意識下で解決しようとする傾向があることや、絶えずパターンを探し求めていること、自分を取り巻く世界をつねにつくり変えていることも明らかにされつつある。

脳が「ビジョンをもたらす装置」という考え方は、とても面白いですね。確かに僕たち人間は、まだ現実化していない自分の考えを、想像力を使ってありありとイメージすることができます。成功者と言われる人たちが、そんな不思議な装置である脳をどのように使っていたのか、とてもわくわくしながら読むことができました。

この本では、ビジョナリーが優れている点を以下のように挙げた上で、それらを脳科学的に見るとどういうことなのか、という考察が加えられています。

  1. 発見力
    僕たちの脳は、常に「パターン」を探していると言います。日々膨大な情報に晒されている脳は、物事をパターン化することで、効率良くものを記憶しているのです。何かを発見するということは、このパターンを見つけることに他なりません。ビジョナリーは、普通の人がなかなか見つけられないパターンを見つけることに長けているのだと言います。しかし、彼らは存在しないものを見ているものではなく、目の前にあるものを見ているだけなのだ、という指摘にはちょっと勇気づけられます。
  2. 想像力
    脳の研究から、想像で描いた像と、実際に物や人を見た像は、どちらも脳内の同じ場所で生み出されると言います。つまり、想像力が生みだす像は、実際に目で見たものと同じくらいリアルに感じられるということでしょう。ビジョナリーには、これから実現しようと思っているアイデアが「見えていた」と言います。そのためには、ただ寝そべって頭の中で考えるのではなく、現実世界に出て行って、様々なことを自ら経験することが大事だそうです。
  3. 直観
    直観については以前からこのブログでもご紹介していますが、直観とは無意識の声です。何かを決断する時、無意識が大統領、顕在意識は報道官である、という例えが出てきますが、無意識の力は普段僕たちが意識しない間にもずっと働いていて、それが直観という形で浮かび上がってくるということですね。
    しかし、直観が常に正しいわけではありません。間違ったパターンにとらわれることもあります。しかし、ビジョナリーは、自分の直感が正しいのか間違っているのかを判断できると言います。それは、実践で経験を積み洞察力を鍛えているから、ということのようですね。
  4. 勇気と信念
    脳には、目的意識を背後から操る神経伝達物質があるそうです。それがドーパミンです。ドーパミンは、人にやる気を起こさせ、目的を魅力的なものに思わせる働きがあるそうです。また、新しいパターンを見つけることを促す作用もあるのだとか。
    ビジョナリーは、高い目的意識を持っています。おそらく、ドーパミンが多い放出されているのではないでしょうか。そう考えると、ある意味で目標に向かって突き進まざるを得ない「達成依存症」と言えなくもないかもしれませんね。そして、高い目的意識の背後には、何かを「よりよくしたい」という強い情熱があることも合わせて指摘されています。
  5. 共有力
    たとえビジョナリーであっても、一人で何かを成し遂げることは難しいでしょう。彼らは、人を巻き込むのが得意なのです。彼らが熱意を持っているのはわかりますが、何故人は巻き込まれてしまうのでしょうか。著者はミラーニューロンが関係する可能性が高い、と述べています。ミラーニューロンは、他者の感情を自分の感情として感じるニューロンのことです。つまり、彼らはミラーニューロンを通じて熱意を他者に感じさせることが得意だということなのでしょう。偽りのない、自分の心の奥底から湧き出るありのままの情熱が人を動かす、これはいわゆるカリスマ性の正体かも知れません。

  6. 成功するかしないか、そこに運の要素はつきものです。ビジョナリーは運がいいようです。しかし、運をコントロールすることはできるのでしょうか?どうやらこれは、決してあきらめない、チャンレンジする機会を増やす、ということが関係していそうです。そして、最終結果をコントロールすることはできなくても、ここに挙げたような様々な能力を使って一回一回のチャンレンジの精度を上げることもできるのです。

さあ、如何だったでしょうか?脳は大人になっても成長を続けると言います。こういったことを取り入れれば、ビジョナリーになれるかも知れませんね!本書には他にも、「ビジョンを曇らせるもの」「ビジョナリー気取りの誤算」「ビジョンを習得することは可能か?」など興味深い論点が用意されています。ビジョナリーと言われる人たちのエピソードが多く含まれているので、読んでいてとても面白いですよ。機会があれば、是非読んでみてくださいね!

人生の科学 「無意識」があなたの一生を決める

今日は、デイヴィッド・ブルックス 著の『人生の科学 「無意識」があなたの一生を決める』という本をご紹介したいと思います。著者であるデイヴィッド・ブルックスはニューヨーク・タイムズのコラムニスト。タイトルに「科学」とついてはいるものの、科学者が書いた本ではありません。

「謝辞」にも書いてありますが、著者は政治や政策、社会学や文化などの執筆を専門としている人です。本書では心理学や神経科学についての記述が多く出てくるのですが、それはもともとは「趣味」なんだとか。ジャーナリストがこのような本を書く「危険性」は承知しているが、近年の心理学、神経科学の成果は素晴らしく、それをどうにか一般の人に分かりやすく伝えたかった、ということのようです。

ここについては僕も同意見で、「人間」を考える上で最近の心理学や神経科学の研究は本当にためになるものだと思います。惜しむべきは、それらが本当の意味で実生活に生かされていない、ということだと思っています。ジャーナリスト、つまり世の中の人に伝える役割の人間として、「どうにかして伝えたい!」という思いがあったのだと思います。

本書は架空のストーリーという形で描かれています。別々の二人の人物が生まれ、出会い、共に人生を生きていくストーリーです。彼らの人生に起こる出来事について、心理学、神経科学はもちろん、経済学や哲学など、様々な観点からの考察が書かれています。著者は、「このような手法を採ることにしたのは、わかりやすいし、実感が伴う」からだと語っています。

読み終えた率直な感想は、人間というものが如何に複雑な生き物か、ということです。そして、僕たちが生きていく上で「無意識」がどれだけ重要な役割を果たしているのか、という著者の主張が、ストーリーを通して読むことで実感に近い形で理解できました。その点では、著者の試みは成功なのだと思います。

ちなみに、このストーリーの登場人物が送ったような人生が「幸福な人生」のモデル、というわけではありません。ある種の「成功観」のようなものを押しつける本でもありません。僕がこのストーリーの主人公のような人生を送りたいかと言われればちょっと疑問ですし、自分ならばこうする、という場面も沢山ありました。読者が注目すべきはストーリーの流れではなく、その裏側で何が起きていたのか、という考察だと思います。

そういう観点でこの本を読むと、「人生」というものについてこれほど包括的に語っている本はなかなかないのではないか、と思います。各論は専門書でよく出てくる話が多いので目新しさ自体はあまりないですが、それらが人生のどんな時に起こり、その後の人生にどんな影響を与えていくのか、という「流れ」や「つながり」がストーリーで語られることによってよく分かりました。

本書には様々な知見が登場します。その中で全体を貫くテーマは、何と言っても「無意識」の持つ力についてでしょう。

例えば人は何かを決断する時、「意識的に」決断していると思っています。しかし、実は無意識の内に既に決断は下されていて、後から意識に伝わる、ということがわかってきたようです。つまり、いくつかの選択肢があった時、無意識は感情という形でそれぞれの選択肢の価値を決めます。理性は、その価値の高いものを選ぶことになります。そういう意味では、意思決定の主役は理性ではなく感情で、その裏には大きな無意識のシステムが広がっている、と捉えることもできるでしょう。

これは無意識に関する論点のほんの一部でしかありませんが、このような無意識のシステムが、どういう過程を経て作られるのか、主人公たちの成長を追いながら解き明かしていく様は、なかなか面白いです。

そしてもう一つのテーマは、人間は社会的な生き物である、という主張だと思います。この点について、以下のように書かれています。

人間はもちろん生物である。生物である以上、その誕生についてあくまで生物学的に説明することはできる。受胎、妊娠、誕生というプロセスを経て産まれてきたわけだ。ハロルド(※ 主人公の名前)もそうだ。しかし、人間はそういう生物学的なプロセスだけではできあがらない。人間、特に人間の本質と呼べる部分ができるまでには、他の人間との関わりが必要になるのだ。

人間の人間らしさは、他の人間の影響なしには作られないということですね。

最後に、僕がなるほどと思った「合理主義の限界」という論点をご紹介しましょう。科学の限界と言ってもよいでしょう。科学的なアプローチで用いられる方法では、物事を小さな要素に分けて考え、それらの総和として全体を説明します。しかし、このアプローチで説明できないシステムがあります。それが「創発システム」と呼ばれるものです。個々の要素が複雑に関係しあい、全体が部分の総和以上になるシステムのことなのですが、人間もまた「創発システム」なのでしょうね。科学的に検証されていることはとてもわかりやすいというメリットがありますが、同時に限界もあるということを知っておいた方がいいのかも知れません。

さて、前述した通り、本書はとても包括的な本です。書かれている内容をまとめることはおろか、論点を書き出すだけでもものすごい量になってしまうと思います。そういう理由で一部の紹介に留めました。詳しい内容は、皆さん自身で確かめてみることをおすすめします。気になった方は、是非読んでみてくださいね!

ハーバード流 自分の潜在能力を発揮させる技術

今日は、マリオ・アロンソ・ブッチ 著の「ハーバード流 自分の潜在能力を発揮させる技術」という本をご紹介したいと思います。この著者は、ハーバード大学メディカルスクールの特別研究員で、医師としてのキャリアがある人です。元々はストレスが消化器系に与える悪影響についての研究をしていたらしいのですが、最近は研究対象を脳の機能へと広げているそうです。

この本、タイトルからは自己啓発的な内容の本かと思ってしまいますが、特に序盤には脳の話が沢山出てきます。ちょうど最近脳関連の書籍を読み漁っていたので、知っていることも多かったのですが、本書の真骨頂は、脳に関する知識を踏まえて、その先どうする?という部分です。脳の専門書と自己啓発書の中間、つなぎ役的な立ち位置の本だと思います。僕も脳に関する知見をどうにか生活に取り入れられないものかと考えていたので、とても参考になりました。

この本での中心的な論点は、「左脳が作り上げた自己イメージ」だと思います。以前の記事にも書きましたが、僕たちの左脳は言語や発話、高度な知的行動に特化した大変優れた器官です。そして、「自分に対するイメージ」を作りだしているのもこの左脳でした。

さて、この自己イメージ。統合された自己という概念は、必要なものではあるのですが、自己イメージに逸脱するようなことに対する抵抗感、つまり自分の限界を設定しているのも左脳なのです。人は、何か新しい環境に適応するとき、右脳が活発になります。そして右脳によって新しい環境に適応するパターンが発見されると、それが左脳に格納されます。要するに、左脳は定型化が得意なのです。

これを考えると、新しいことをやろうと思った時になかなか踏み出せない、居心地のいい状況に甘んじてしまう、という僕たちの性質がどのような仕組みで起こっているのかよくわかる気がしますね。

この自己イメージ、本書の中では「アイデンティティ」という言葉で説明されています。アイデンティティはとても重要な概念なので、関連書籍を別途ご紹介したいと思いますが、ここでは自己イメージという意味だと思って下さい。この自己イメージ=アイデンティティについてもう少し深堀りしてみましょう。

まず、理解しなければならないのは、アイデンティティとは固定されたものではなく、日々変わっていく動的なものだということです。アイデンティティは、自分が置かれている環境や関わった人たちから情報を得ながら、徐々に構築されていきます。注意しなければならないのは、このアイデンティティが本当の自分ではないということです。だって、本当の自分が環境や周りにいる人で決まるというのは、おかしいですもんね。

殻を破る、という言葉があります。僕はブレイクスルーと呼んでいますが、ある人がちょっとしたきっかけから刺激を受けて、今までの自分を軽々と越えていく場面を僕は沢山見てきました。つい先日も、一緒に働いている仲間が、ブレイクスルーを感じた、と言っていました。

彼は、ずっと自分の仕事に対して、このままでいいんだろうか?という悩みを抱えていました。さらに最近の彼は、複数のプロジェクトを同時に抱えていて、精神的にも肉体的にもとても追いつめられていました。そこで、ある種の「開き直り」のようなものが発生したのでしょう。彼はとても思慮深い男なので、今までは良かれと思う事も空気を読んで敢えて言わない、という所があったのですが、ふと「自分はこうした方がいいと思う」ということをぶちまけてみたそうです。それがスタッフの緊張感を高め、結果的に仕事の質が上がり、お客さんの評価も上がった。そして彼の自信につながり、ついには「自分はこれでいいんだ」と思えるようになったということです。

本書にも似たようなことが書いてあります。

人は「もうここまでだ」「これで終わりだ」「こんなことはこれ以上続けられない」という境地に達しないと、勇気を出して未知の世界へ飛び移ろうなどとはなかなか考えないものだ。それでも、ちょっとしたことや人との出会いから刺激を受けて、破れないと思い込んでいた殻を破り、新しい自分になって羽ばたくケースがある。

では、意識的にブレイクスルーを起こすことはできるのでしょうか?そのヒントは、「無自覚の行動を自覚した行動に変えていかないと本当に自由になることはできない」という本書の記述の中にあります。人間の行動のほとんどが無意識に行われていることはご存知でしょうか?そのような自動操縦モードで使われるのは、自己イメージだとすれば、意識して行動を変えていかなければ変われるはずがありません。

本書には、無意識の行動を意識的な行動に変えていく戦略についても示されています。キーワードになるのは、「注意」「言葉」そして「身体」です。それぞれ簡単に紹介しておきますね。

注意に関しては、僕たちは事実を見ているわけではなく、「見たいものを」見ていることを理解する必要があります。従って、注意を向ける先を変えない限り、ものの見方が変わることはあり得ません。

次に言葉。言葉には力があります。スピリチュアルな意味ではなく、実際に言葉と情動は脳の中で結び付けられています。そして人は、アイデンティティを語る時にも言葉を使いますよね。その言葉の使い方次第によって、自分像は大きく変わってしまいます。

最後に身体。脳関連の書籍を読むと、身体と脳のつながりはとても深いことがわかります。例えば運動が身体にいいのはなんとなく理解していても、理由は気分転換くらいしか思いつきませんよね。しかし、運動をすることによって脳の色々な部分が変わっていくことがわかってきています。例えば、身体を動かすことで感情が安定し、多少のことでは動じなくなる、なんてことも起こっているそうです。食生活や呼吸も考え方や認識に変化を及ぼすそうですよ。

「注意」「言葉」「身体」について変えていくことで、自己イメージの一歩外に出ることができれば、今までとは違う世界が広がっているかも知れませんね。是非到達してみたいものです。

さて、如何だったでしょうか?脳に関する知見を人生に活用する、という観点でよく書かれている本だと思います。ここで挙げたポイント以外にも、様々な論点や逸話などが紹介されており、面白いです。分量もそれほど多くないので、すぐ読めてしまいます。もっと詳しく知りたい方は、是非読んでみてください!

脳の中の身体地図

今日は、サンドラ・ブレイクスリー & マシュー・ブレイクスリー 著の「脳の中の身体地図―ボディ・マップのおかげで、たいていのことがうまくいくわけ」という本をご紹介します。この本は親子(共にサイエンス・ライター)で書いているようです。サンドラ・ブレイクスリーは先日ご紹介した「脳のなかの幽霊」の共著者でもあります。

本書は、ライターが書いただけあって、このブログでご紹介した脳関連の本(「脳のなかの幽霊」「人間とはなにか?」)の中では一番読みやすかったと思います。これらの本と一部内容は重複するところがありますが、違う人が書いたものを読むことでさらに理解が深まりました。脳関連で面白い本を読みたいという方には、気軽にお奨めできる一冊だと思います。

さて、本書のタイトルにもなっている身体地図。本書に書かれていることを理解するには、この身体地図とは何かを理解する必要があります。著者によれば、脳の中はまさに「地図」だらけなのだそうです。地図とは、現実世界の縮小版で、地図上の点と現実世界の一点が対応しているものです。それと同じ様に、脳には身体のあらゆる点がマッピングされています。例えば、誰かに肩を叩かれたとします。そうすると脳の特定の領域にある神経細胞が活性化します。

実はこの地図、沢山の種類があります。前述した地図は触覚マップと言われる身体に対する触覚情報に対応する地図でした。運動マップという別の地図もあります。これは皮膚からの入力を受けるのではなく、筋肉に信号を送ります。例えば足を伸ばすと、足に対応した運動マップの足の領域が活性化します。これ以外にも、意図のマップ、行動能力に関するマップ、まわりの人々の意図と行動を追跡するためのマップ、などなど。本書ではこれらを比喩して、「身体の曼荼羅」という言葉で説明されています。

実は、このマップで本当に様々なことが説明できるのだそうです。この本では、以下のようなことが説明されています。

  • あくびがうつるわけ
  • 痛みが気分次第で変わるわけ
  • ビデオ・ゲームにはまるわけ
  • オーラが見えたり、体外離脱したりするわけ
  • メンタル・トレーニングがよく効くわけ
  • スポーツや音楽の達人がうまくいかなくなるわけ
  • 減量に成功しても太っていると思うわけ

などなど。話題が身近なものなので、とてもとっつきやすく、読んでいて面白いです。これらを読み解く上でキーワードになってくるのは、前述したマップは勿論ですが、それに加えて可塑性(かそせい)という特性があります。この可塑性は簡単に言えば、脳が新しいことを学習するたびに新しい神経接続ができ、既存の接続が強化されていくことです。つまり、脳の中のマップをどんどん書き換えていく性質です。これが脳の驚くような柔軟性を生み出しているひとつの理由だと思います。

では、上記の中で僕が面白いと思ったトピックをいくつかご紹介したいと思います。まずはメンタル・トレーニングについて。運動をやる人が、実際に体を動かす以外にメンタル・トレーニングをやって成績が上がるという話があります。メンタル・トレーニングには色々なものがありますが、特に効果があるのが運動イメージ法と呼ばれる方法です。いわゆるイメージ・トレーニングですね。

イメージ・トレーニングをしている時、脳の中で何起こっているのでしょうか。実は、イメージ・トレーニングを行うだけで、実際に運動しているのとほぼ同じ脳領域が活性化するのだそうです。つまり、脳から見ればイメージするのも実際に運動するのもほぼ変わらないということです。実際に検証すると、運動イメージ法を5日間続けた場合、身体的練習の3日分に相当したそうです。さらに、運動イメージ法5日間に身体的練習1日を組み合わせたところ、身体的練習の5日分に匹敵する効果が出たそうです。これは侮れませんよね。

ところで、体外離脱という言葉をご存じでしょうか?これは寝ている時などに自分の体から抜け出すような感覚のことを言うのですが、実は僕もこれを経験したことがあります。夜中にふと目が覚めると体が動かない状態だったのですが、しばらくすると、すっと体から抜け出して自分がベッドで寝ているところを真上から見下ろしているような感覚になりました。夢じゃないかと思いましたが、妙にリアルに感じました。この体外離脱について面白い記述があります。

とあるてんかん患者の治療のために、脳のさまざまな場所に電気刺激を与えていた時のことです。突然患者が、「天井に上ってしまった」と言いだしたそうです。患者が感じる空間内の位置と目に見える空間内の位置が電気刺激によって一致しなくなり、そのズレを説明するために脳が出した答えが「天井から見下ろしているように感じる」なのだそうです。普通の人でも血流の変化などによって起こることがあるらしいですよ。

ミラー・ニューロンについての章も面白いです。ミラー・ニューロンは人類を進化させた最大要因の一つとされている神経細胞のことで、自分で行動するときも、他人が行動しているのを見るときも、共に活性化する性質があります。つまり、他人の行動を見ただけで、自分が行動しているときと同じ様な反応が起こるのです。この細胞のおかげで、僕たちは模倣や共感など、様々な能力獲得したのだと言われています。

最後の章では、情動について触れています。僕たちは情動を心が感じている、と思っていますが、この本によれば、情動は身体から感じているのだそうです。そしてこの情動は、理性と切り離すことができないほど密接に影響し合っているのだそうです。このことが、「感情抜きにして」何かを決断することの難しさなのでしょうね。切り離すことができないのならば、むしろ積極的に感情に従ってみるといいのかも知れません。

情動は、たとえ意志の力でねじ伏せようと、意志決定のプロセスから本当に切り離すことはできない。新しい証明の道筋を立てようとしている数学者ですら、個人的な野心や好奇心、そして、ときとして背筋がゾクゾクするような、プラトンの言うところの数学そのものの美のイデアがない交ぜになった情動に突き動かされている。

あとがきにも重要なことが書かれています。この手の本ではお決まりの、「自己の概念」についてです。他のいくつかの本でも見てきたように、この本でも「自己は突き詰めて言うと錯覚に過ぎない」と書かれています。しかし、その錯覚について、こうも言っています。

自己は錯覚だと言っても、あなたが存在しないわけではない。また、自由意思は錯覚だと言うのも、あなたが選択できないという意味ではない。自己と自由意思が実は、”エンド・ユーザー”であるあなたの観点からそう思えるものとは異なっていることを指して、錯覚と言っているのだ。

そう、裏の仕組みがどうなっていようと、それを使っているエンドユーザーである僕たちには、依然として自分は自分だし、意識も感じられるということです。脳には無数の神経細胞があり、それがお互いに接続して自分という一つの「システム」を作り出している。そのシステムが、なじみのある「自分」というものを作りだしているのだとしたら、それはそれで凄いことだと思いませんか?

如何だったでしょうか。繰り返しになりますが、ちゃんとした研究に基づいた脳関連の書籍は難解なものが多いなか、この本はとても読みやすく、かつ面白いです。興味のある方は是非読んでみてくださいね!

人間らしさとはなにか?

本日は、マイケル・S・ガザニガの「人間らしさとはなにか?」という本をご紹介したいと思います。この本は、非常に哲学的なタイトルがついていますが、昨日ご紹介した「脳のなかの幽霊」と同じく脳神経科学の本です。この著者もまた、脳神経科学でとても有名な人なのだそうです。

この本はタイトルの通り、人間らしさとは一体何か、ということについて書かれた本です。特に、他の動物と比べてどこが人間を人間らしくさせているのか、という視点が強調されているように思います。

本書は、人間の脳はユニークなのか?という問いから始まります。科学者の間では、身体を見た時に人間が他の動物と違う、というのは割とすんなり受け入れられるそうですが、では、脳は?と聞くと、議論になると言います。大きさが異なるだけで本質的には変わらないとか、哺乳類の間であればニューロンはニューロンだ、とか。しかし著者は様々なデータから、やはり人間の脳はユニークな特徴をたくさん持っているのだと考えます。では、人間を人間らしくさせているその違いとは、どのようなものなのでしょうか?

この違いについて、さまざまな観点から検討がなされています。他の動物が「心の理論」を持つかどうかに始まり、コミュニケーション、社会性、道徳、共感、芸術・・・というように視点は多岐にわたります。その中でも、僕が特に面白かったと感じたのは「意識」ついての章です。少し難しいのですが、僕なりの解釈で要約してみますね。

まず、意識とはどんなものなのでしょうか。著者は、「大企業のトップのようなもの」と言っています。脳の中には、本当に様々な機能がありますが、それらのほとんどは、僕たちが気づかないうちに、つまり無意識のうちに処理されています。その中で意識の上に上がってきたものについて、僕達は「意識的に」処理するわけですが、それがあたかも、部下が働いている間にゴルフのコースに出ている大企業のトップのようだ、というわけですね。

では、無意識下の処理のうち、意識上がってくるものとはどんなものなのでしょうか?様々な刺激が意識に到達するには主に二種類あるのですが、そこには「注意」が深く関係しています。一つは、意識的に注意を向けるということ。例えば、「よし、今から仕事の事を考えよう」というのは自ら仕事に対して注意を向けていますね。それとは逆のパターンもあります。例えば仕事のことを考えている時に火災報知機が鳴り響いたケースがそれにあたります。火災報知機の警報音を聴いて注意が奪われ、そちらに意識が向きます。

意識にはまだまだ謎があります。私たちは「自分自身」という感覚を持ちます。これは自分を意識する、ということに他なりませんが、この自分自身という感覚はどこから来るのでしょう?無数の情報を一つに統合し、自分という感覚を作り上げているものは何なのでしょうか?

その答えは、左脳にあるのではないかと著者は言います。右脳・左脳という言葉は聞いたことがありますよね。人間の大脳は右脳(右半球)と左脳(左半球)に分かれています。右脳は顔の認識と注意の集中と知覚による識別に、左脳は言語と発話と知的行動に特化しているそうです。

ここで分離脳患者の話が出てきます。分離脳患者とは、右脳と左脳をつなぐ脳梁という部分が切断された患者のことです。彼らには何が起こるのでしょうか?それぞれの脳が連携できなくなるので、お互いの脳はもう片方の脳半球で何が起きているかを知る事ができなくなってしまいます。

分離脳患者に関する興味深い実験があります。彼らの右脳に、「笑え」という命令を出します。患者は笑い出しますが、右脳と切り離されている左脳の言語中枢は、何故笑っているかの理由を知りません。その状態で患者になぜ笑っているのかをたずねると、「わからない」とは言わず、何とかつじつま合わせて笑っている理由を答えるのだそうです。

左脳には、このような解釈装置としての働きがあるそうです。そしてその機能は、脳への様々な入力を「解釈」し、一つの物語に統合するために使われていると考えることができます。つまり、私たちが「自分は統合された一つのものである」という解釈を、左脳が作っているということです。

解釈装置がなくても機能している脳に解釈装置が加わると、多くの副産物が生まれる。事柄と事柄の関連を問うことから始める装置、いや、数限りない事柄について問い、自らの疑問に対して生産的な答えを見つけられる仕組みがあれば、おのずと「自己」の概念が生まれる。その装置が問う大きな疑問の一つは間違いなく、「これだけの疑問を、誰が解決しているのだろう」だからだ。「そうだな・・・それを”自分”と呼ぼう」。

そう、「自己感覚」は副産物だと言っているのです。これは衝撃的ですよね!僕たちは「魂」や「心」と言った言葉を使います。これは、ある意味では身体とは別の「本当の自分」がどこかに存在しているという風に解釈することもできます。が、上記の話だと「本当の自分」は左脳が生み出した幻ということになります。これを始めて読んだ時は僕もちょっとショックを受けました。

しかし、最近はこう思うようになりました。例え「本当の自分」を作り出しているのが左脳だとしても、それが解釈装置による副産物だとしても、僕が統一された自己としてここにいるという「感覚」そのものは僕の脳の中で確かに存在し、自覚しているのです。ならば、それはそれでいいのではないでしょうか。それを「副産物」と呼ぼうが、「心」あるいは「魂」と呼ぼうが、いいと思います。重要なのは、それを踏まえて、どうよりよく生きるかということなのですから。最後に、結びの言葉を紹介しておきます。

私の兄は人間の(動物との)相違点のリストを次のように締めくくった。「人間はコンピューターの前に座って、生命の意味を見出そうとする。動物は与えられた命を生きる。問題は、そういう人間と動物とでは、どちらが幸せかということだ」
もう十分だろう。私は外に出て、ぶどう畑の手入れをするとしよう。ピノ種のぶどうがほどなく上質のワインになる。自分がチンパンジーでなくて、なんとありがたいことか!

さて、如何だったでしょうか。この記事でご紹介した「意識」の論点以外にも、人間のユニークな所が色々と紹介されています。500ページを超える大作ですが、脳について深く知りたい方にはお奨めの一冊です。是非読んでみてください!

脳のなかの幽霊

今日ご紹介する本は、V・S・ラマチャンドラン 著の「脳のなかの幽霊」です。ラマチャンドラン博士は視覚や幻肢でとても有名な神経科学者です。本書は、そのラマチャンドラン博士が様々な神経疾患を持つ患者に対して行った実験の内容を元に、一般の人向けに書かれた本です。

一般向けに平易に書かれているとは言え、ボリュームも多く、何も考えずに気楽に読める本ではないと思いますが、それでもページをめくるのが止まらないほどに面白いです!脳の仕組みに少しでも興味がある方には、この本は最高だと思います。ユーモアも効いており、途中何度も笑ってしまいました。

さて、人間の脳。とても複雑な仕組みを持っていることは間違いないですが、その多くはまだ解明されていません。そして、脳や心の研究がまだ初期段階であり、物理学で言うところの一般相対性理論のような統一理論を組み立てられる段階ではないと著者は言います。そうした状況では、とにかく「あれこれやってみる」のが一番いいのだそうです。その言葉の通り、本書の中には様々な実験とその考察が含まれています。

この本の中には、僕が聞いたこともないような症状を持つ患者の例が沢山登場します。

  • 腕や足が生まれつきない、または事故や病気で失ったにも関わらず、「ある」と感じる幻肢。幻肢を持つ患者の一部は、ないはずの腕や足に激しい痛みを感じることもあるそうです。存在しない手足の痛みをどう直せばいいのか?う~ん、確かに。
  • 脳の障害などで片側の視野が失われているにも関わらず、見えないはずのものを正確に掴める、盲視。この現象について、著者は脳の中にいる無意識のゾンビが動きを誘導しているようだと言っています。
  • 緑内障や白内障などが原因で視力が弱くなった人たちがおそろしくリアルな幻覚を見るという障害、シャルル・ボネ・シンドローム。この幻覚は、患者がコントロールできないのだと言います。この障害を持つ患者は、診察の際、「先生の膝の上に猿が座っています」と述べたそうです。
  • 脳の損傷等により、自分の左側に対してまったく無関心になってしまう半側無視という現象。この患者は、食事の際にも自分の左側にあるものに気付かないし、鏡に映った自分の顔の左側にも気付かないため、右側にのみ化粧をすることもあるそうです。

などなど、これ以外にも沢山の不思議な現象が登場します。その現象を読むだけでもとても興味深いのですが、それには留まらず、それらの患者への様々な実験を通して、人間の脳の一般的な仕組みを検証していく部分が最高に面白いです。

ところで、皆さんは「クオリア」という言葉をご存知でしょうか?クオリアとは、主観的感覚とも言いますが、簡単に言えば、「赤い」「暖かい」「冷たい」「痛い」などの感覚のことです。このクオリアに関しては、目や指から脳に入力された神経インパルス(電流)が、なぜ目に見えない感性や感覚に変わるのか、という問題があまりにも不可解なため、問題であることを認めない人もいるそうです。

本書の最終章では、このクオリアにも話が及びます。クオリアとは一体何なのか、そして何のために存在するのか、という点についてもきちんと言及されています。そしてさらに、クオリアと切っても切れないものがあります。それは、そのクオリアを実際に感じている私、つまり「自己」という概念についてです。この「自己」についての洞察も、とても興味深いですよ。

本書の最後には、こう記されています。

自分の人生が、希望も成功の喜びも大望も何もかもが、単に脳のニューロンの活動から生じていると言われるのは、心が乱れることでもあるらしい。しかしそれは、誇りを傷つけるどころか、人間を高めるものだと私は思う。科学は―宇宙論、進化論、そしてとりわけ脳科学は―私たちに、人間は宇宙で特権的な地位などを占めてなどいない、「世界を見つめる」非物質的な魂をもっているという観念は幻想にすぎないと告げている(これは東洋の神秘的な伝統であるヒンドゥ教や禅宗が、はるか昔から強調してきたことである)。自分は観察者などではなく、実は永遠に盛衰をくり返す宇宙の事象の一部であるといったん悟れば、大きく解放される。また、ある種の謙虚さも養われる―これは真の宗教的体験の本質である。

脳と心には様々な議論がありますが、とても科学者らしい主張ですね。その結果が、仏教に通じるものがある、というのは面白いです。

僕個人は、この本に書かれているような素晴らしい知見を、人間がよりよく生きるためにどう活かせるかにとても興味があります。僕は人間の行動とは、入力に対して処理をし、出力することだと考えているのですが、このプロセスで中心的な役割を果たすのが脳だと思います。その脳に関して次々と新しいことがわかってきています。であればそれを活用しない手はありませんよね。

さて、この本は是非皆さんにも読んでいただきたいので、あまり詳しい紹介は避けましたが、如何だったでしょうか?文庫版も出ていてお手頃価格ですので、興味があったら是非手にとって読んでみてください。「脳」に対する考え方が変わるかも知れませんよ。