本日は、マイケル・S・ガザニガの「人間らしさとはなにか?」という本をご紹介したいと思います。この本は、非常に哲学的なタイトルがついていますが、昨日ご紹介した「脳のなかの幽霊」と同じく脳神経科学の本です。この著者もまた、脳神経科学でとても有名な人なのだそうです。
この本はタイトルの通り、人間らしさとは一体何か、ということについて書かれた本です。特に、他の動物と比べてどこが人間を人間らしくさせているのか、という視点が強調されているように思います。
本書は、人間の脳はユニークなのか?という問いから始まります。科学者の間では、身体を見た時に人間が他の動物と違う、というのは割とすんなり受け入れられるそうですが、では、脳は?と聞くと、議論になると言います。大きさが異なるだけで本質的には変わらないとか、哺乳類の間であればニューロンはニューロンだ、とか。しかし著者は様々なデータから、やはり人間の脳はユニークな特徴をたくさん持っているのだと考えます。では、人間を人間らしくさせているその違いとは、どのようなものなのでしょうか?
この違いについて、さまざまな観点から検討がなされています。他の動物が「心の理論」を持つかどうかに始まり、コミュニケーション、社会性、道徳、共感、芸術・・・というように視点は多岐にわたります。その中でも、僕が特に面白かったと感じたのは「意識」ついての章です。少し難しいのですが、僕なりの解釈で要約してみますね。
まず、意識とはどんなものなのでしょうか。著者は、「大企業のトップのようなもの」と言っています。脳の中には、本当に様々な機能がありますが、それらのほとんどは、僕たちが気づかないうちに、つまり無意識のうちに処理されています。その中で意識の上に上がってきたものについて、僕達は「意識的に」処理するわけですが、それがあたかも、部下が働いている間にゴルフのコースに出ている大企業のトップのようだ、というわけですね。
では、無意識下の処理のうち、意識上がってくるものとはどんなものなのでしょうか?様々な刺激が意識に到達するには主に二種類あるのですが、そこには「注意」が深く関係しています。一つは、意識的に注意を向けるということ。例えば、「よし、今から仕事の事を考えよう」というのは自ら仕事に対して注意を向けていますね。それとは逆のパターンもあります。例えば仕事のことを考えている時に火災報知機が鳴り響いたケースがそれにあたります。火災報知機の警報音を聴いて注意が奪われ、そちらに意識が向きます。
意識にはまだまだ謎があります。私たちは「自分自身」という感覚を持ちます。これは自分を意識する、ということに他なりませんが、この自分自身という感覚はどこから来るのでしょう?無数の情報を一つに統合し、自分という感覚を作り上げているものは何なのでしょうか?
その答えは、左脳にあるのではないかと著者は言います。右脳・左脳という言葉は聞いたことがありますよね。人間の大脳は右脳(右半球)と左脳(左半球)に分かれています。右脳は顔の認識と注意の集中と知覚による識別に、左脳は言語と発話と知的行動に特化しているそうです。
ここで分離脳患者の話が出てきます。分離脳患者とは、右脳と左脳をつなぐ脳梁という部分が切断された患者のことです。彼らには何が起こるのでしょうか?それぞれの脳が連携できなくなるので、お互いの脳はもう片方の脳半球で何が起きているかを知る事ができなくなってしまいます。
分離脳患者に関する興味深い実験があります。彼らの右脳に、「笑え」という命令を出します。患者は笑い出しますが、右脳と切り離されている左脳の言語中枢は、何故笑っているかの理由を知りません。その状態で患者になぜ笑っているのかをたずねると、「わからない」とは言わず、何とかつじつま合わせて笑っている理由を答えるのだそうです。
左脳には、このような解釈装置としての働きがあるそうです。そしてその機能は、脳への様々な入力を「解釈」し、一つの物語に統合するために使われていると考えることができます。つまり、私たちが「自分は統合された一つのものである」という解釈を、左脳が作っているということです。
解釈装置がなくても機能している脳に解釈装置が加わると、多くの副産物が生まれる。事柄と事柄の関連を問うことから始める装置、いや、数限りない事柄について問い、自らの疑問に対して生産的な答えを見つけられる仕組みがあれば、おのずと「自己」の概念が生まれる。その装置が問う大きな疑問の一つは間違いなく、「これだけの疑問を、誰が解決しているのだろう」だからだ。「そうだな・・・それを”自分”と呼ぼう」。
そう、「自己感覚」は副産物だと言っているのです。これは衝撃的ですよね!僕たちは「魂」や「心」と言った言葉を使います。これは、ある意味では身体とは別の「本当の自分」がどこかに存在しているという風に解釈することもできます。が、上記の話だと「本当の自分」は左脳が生み出した幻ということになります。これを始めて読んだ時は僕もちょっとショックを受けました。
しかし、最近はこう思うようになりました。例え「本当の自分」を作り出しているのが左脳だとしても、それが解釈装置による副産物だとしても、僕が統一された自己としてここにいるという「感覚」そのものは僕の脳の中で確かに存在し、自覚しているのです。ならば、それはそれでいいのではないでしょうか。それを「副産物」と呼ぼうが、「心」あるいは「魂」と呼ぼうが、いいと思います。重要なのは、それを踏まえて、どうよりよく生きるかということなのですから。最後に、結びの言葉を紹介しておきます。
私の兄は人間の(動物との)相違点のリストを次のように締めくくった。「人間はコンピューターの前に座って、生命の意味を見出そうとする。動物は与えられた命を生きる。問題は、そういう人間と動物とでは、どちらが幸せかということだ」
もう十分だろう。私は外に出て、ぶどう畑の手入れをするとしよう。ピノ種のぶどうがほどなく上質のワインになる。自分がチンパンジーでなくて、なんとありがたいことか!
さて、如何だったでしょうか。この記事でご紹介した「意識」の論点以外にも、人間のユニークな所が色々と紹介されています。500ページを超える大作ですが、脳について深く知りたい方にはお奨めの一冊です。是非読んでみてください!
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