ユーザーイリュージョン

今日は、トール・ノーレットランダーシュ 著の「ユーザーイリュージョン 意識という幻想」という本をご紹介したいと思います。著者はデンマーク人で科学ジャーナリストの人物。この本のデンマーク語版は13万部(人口比で換算すると、日本では250万部相当)も売れ、以来8ヶ国で翻訳・出版されたということです。

500ページを超える大書で、価格も4,200円とかなり読み応えのある本です。僕は以前から読みたいと思っていたのですが、幸運にも近くの図書館で見つけることができたので読んでみることにしました。

この本の主題は「意識」です。タイトルにユーザーイリュージョンとありますが、これはパソコンのユーザーインターフェースを考えるとわかりやすいでしょう。パソコンの画面にはデスクトップがあり、フォルダやゴミ箱が配置されています。しかし、実際にそこにフォルダやゴミ箱があるわけではありませんよね。意識も同じだということです。イリュージョン(幻想)とある通り、意識とは幻想、錯覚なのだというお話です。

この考え方自体は以前にも神経科学の本で読み、既に知っていた論点なのですが、本書はそれをものすごく掘り下げていったという感じです。また、扱っている分野も極めて多岐にわたります。始めて聞くような分野の話も沢山あり、僕も正確に把握できていないので訳者あとがきから引用してみましょう。

さて、本書「ユーザーイリュージョン」だが、著者の構想の雄大さと知識・調査範囲の広さには圧倒される。物理学、熱力学、統計力学、情報理論、サイバネティックス、心理学、生理学、生物学、哲学、社会学、歴史学、宗教、倫理と、様々な分野に話がおよび、カオス、フラクタル、エントロピー、ブラックホール、複雑系、ガイア、「外情報」、「私」、「自分」といった用語が飛び出す。

本当に、著者の守備範囲の広さには圧倒させられます。情熱というか、この本に対する思い入れが伝わってきます。それでいて、難解すぎることもなく、文系の僕でも最後まで読み切ることができました。扱っている話題が話題なので、決して読みやすい本とは言い難いかも知れないですけどね。ただ、知的好奇心をこれでもかと刺激してくるので、なかなか良いペースで読めたと思います。

さて、構成を見てみましょう。本書は4部構成になっていて、メインとなる「意識」について書いてあるのは2・3部です。1部は主に熱力学、情報理論について書かれており、4部ではガイア、カオス、フラクタルなどが紹介され、結びへと繋がります。手っ取り早く「意識」についての話を知りたい方は、2・3部だけを読んでも十分に楽しめる内容だと思います。

では、この本で僕が学んだこと、なるほどと思った論点の中からいくつか紹介したいと思います。

まず、「情報」について。通常、ある物事についての情報を誰かに伝えようとする際、その物事について「そのまま」伝えるというのは難しいですよね。縮尺が1/1の地図を作るようなものです。普通は膨大な情報の中から、伝える必要のない情報を捨て、纏め、編集して伝えるということをします。この本によれば、実際に伝えられた情報そのものはたいして重要ではないのだと言います。重要なのはその情報が発信される前までに、どれだけの情報が捨てられてきたか、それが情報の深さを表しているのだと。

これは、僕たちの通常の感覚には反します。情報量が多い、といった場合、伝えられるメッセージそのものの量が多い、という風に解釈しますが、情報理論では捨てられた情報の量で情報量を計るようですね。

この考え方を知って個人的に思ったのは、情報が氾濫している昨今で、如何に情報を捨てるかということの重要性は、どんどん高くなってきている気がします。膨大な情報の中から取捨選択し、自分なりにどう理解するのかが重要ですよね。仕事で何かを調査する場合などでも、調査した資料をそのまま提示しても、何も伝わりません。その中に何らかの意味を見出し、メッセージとして集約する作業が必要になります。

続いて話は「コミュニケーション」へと移ります。上記の考え方で行けば、伝えられるメッセージは、既に大量に情報が処分されたものである可能性が高い。なのに、何故伝わるのか、という問題です。これを考えるために、この本ではコミュニケーションのプロセスが紹介されているのですが、なるほどと思いました。

まず最初に、発信側が考えます。何かの経験や感情、記憶などを集約しメッセージを作る過程で沢山の情報が捨てられます。充分に集約されると、最後に何かしら口に出して言える言葉が残ります。これが会話を通して相手に伝わります。伝えられる側では、伝わってきた言葉に込められた意味を明らかにするために頭の中で解きほどかれます。集約→伝達→展開、というのがコミュニケーションなのだ、という考え方ですね。

物事を伝えるには如何に集約するか、物事を理解するには如何に展開するか、という考え方はとてもわかりやすいと思いました。集約前の情報と展開後の情報が似たようなものになったとき、「伝わった」ということになります。

さて、この辺りから意識の話に入ります。僕たちの無意識は、日々膨大な情報を処理していると言われます。そのうち、意識の上るのは100万分の1だとか。実際に僕たちの行動の大部分は無意識のうちに行われていると言います。それ自体も驚くべきことなのですが、意識は、それだけの情報をリアルタイムに捨てていると考えることができます。それだけの情報処理をするのには時間がかかるはず、ということで本書のテーマである「0.5秒」という内容に入っていきます。

この0.5秒という数字、人が行動しよう!と意識する0.5秒前に脳の中では既に行動を開始する脳波が出ている、という実験や、人が何かを知覚する際、刺激より0.5秒遅れて自覚する、という実験から導き出されたものです。しかし、何か刺激を受けると、僕たちは即座に反応しますよね。これは、脳が時間の繰り上げ調整を行って、リアルタイムに経験しているようにしているためにそう感じるのだそうです。じ、時間の繰り上げ調整!?

意識や脳に関する本を読んでいると、こういう刺激的な内容がどんどん出てくるんですよね。この本も例外ではありませんでした。錯覚の話なども出てきますが、結論として導かれるのは、意識というのはユーザーイリュージョン(つまり幻想)であって、僕たちは「ありのままの世界」を経験しているわけではない、ということになると思います。

こういう話を聞いてどのように解釈するのかは人それぞれだと思いますが、訳者あとがきに、それに関する著者の主張がうまくまとめられているので、それを引用しておきたいと思います。

そこで、人間は意識がイリュージョンであることを自覚しなければならない。意識ある「私」と無意識の「自分」の共存が必要だ。「私」が自らの限界と「自分」の存在を認め、「自分」を信頼し、権限を委ねることが「平静」の鍵となるというのも、理にかなっている。

さらに、本文で僕が気に入った一節も。

人はお互いについて、意識が知っているよりはるかに多くを知っており、またお互いに対して、意識が知っているよりはるかに多くの影響を与え合っているからだ。人間はなんとしても、自分が身体の芯から正しいと思うことをやらなくてはいけない。なぜなら、その効果は私たちが意識しているより大きいからだ。
私たちは自分の行動の主導権を意識に委ねてはならない。意識を働かせ、熟慮したうえで、最も適切だと思えることだけを実行するようではいけない。直感に従って行動すべきだ。

如何でしょうか。無意識の存在を認め、信頼し、ある程度委ねるべきだ、という主張がなされていますね。無意識も含めて「自分」なのだという認識を持ち、無意識の反応である直感を信じろということなのでしょう。

自分のことは全て把握しているというのは、少々思い上がりなのかも知れませんね。自分についてでさえ、知っているのは一部分であるし、知らない部分も含めて自分なのだから、どちらの自分も喜ぶような生き方を目指したいものです。そういう生き方が出来た時、著者の言う大きな「効果」が生み出せるのかも知れません。

この本は纏めるには内容が充実しすぎていますし、僕が無知な故に間違って解釈している部分もあるかと思います。こういう内容に興味を持たれた方は、是非本書を手にとって読んでいただけたらと思います。色々なことを考えさせてくれると思いますよ!おすすめです。

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