シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ

今日は、ジョセフ・ジャウォースキー 著の「シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ」という本をご紹介したいと思います。この本は、いわゆる“積ん読”状態になっていた本でしたが、ふと目に止まったので読んでみました。

皆さんは、シンクロニシティという単語をご存じでしょうか?日本語では共時性と言います。「二つ以上の出来事が重要な意味を持って同時に起こる事。そこには単なるチャンスの到来以外の何かが関わっている」と定義されており、心理学で非常に有名なC・G・ユングが提唱しました。このシンクロニシティについては、監修者解説の中で以下のように説明されています。

ある事象と別の事象が、さらにまた別の事象が、時間的に近接して、つぎつぎとつながりを持って生まれるような現象に出会い、それらの事象間に必ずしも因果で説明できる部分がなければ、それはシンクロニシティと言っていいだろう。

ちょっと不思議な感覚なのですが、皆さんもそんな経験はないでしょうか?何故だかはよくわからないけど、何となく意味やつながりを持つと思われるようなことが身の回りで次々と起きて、不思議な感覚を味わった経験。具体的な内容はあまり思い出せませんが、僕はその感覚を度々味わっているような気がします。

この本の内容は実話です。著者の身に実際に起こった「シンクロニシティ」が物語として語られていて、とても面白いです。物語なのでとても読みやすかったですし、とても感動しました。あまりにも面白かったので明け方までかかって一気に読んでしまいました。

さて、物語の中で語られるシンクロニシティを「不思議な偶然」として片づけてしまっては意味がありません。僕は、物語を読む中で、シンクロニシティに関して主に二つの教訓を得ました。

一つ目は、やはり人は自分が心の底からやりたいこと、やる必要があると思えることをやるべきだということです。欲求を突き詰めていくと、自分の利益と他人の利益が合致するポイントが必ずあります。それに対してコミットした時、まさに何かに導かれるように様々な偶然が起こって手助けしてくれる、それがこの本で本当に言いたかったシンクロニシティなのだと思います。本の中では、方向は決めるが目的地は決めない、何故なら流れに身を任せていれば導いてくれる、というようなことが書いてありましたが、この言葉の意味するところがやっとわかったような気がします。

もう一つは、著者に強い意思だけでなく、積極的で行動力があったこと。強い意思があれば、強く信じていれば、それだけでどんどんいいことが起こるわけではありません。自ら積極的に行動を起こし、他人を巻き込み、その連鎖が続くことで偶然としか思えないような結果が生まれました。「強く願えば思いは叶う」という言葉がありますが、それは暗に「強く願えばこそ、それにまつわるあらゆる行動をいとわない」という意味をも含んでいるのだと思います。

ところで、このシンクロニシティと副題の「リーダーシップ」とはどう関係があるのでしょう?僕も本を読み始めたときに疑問に思いました。読んでみるとわかりますが、この二つは直接的に関係はありません。著者はあるきっかけから、世の中を変える次世代のリーダーを育てなければ、という思いに駆られます。それを実現すべく著者自身もリーダーシップを発揮していくのですが、そうして行動をしていくうちにシンクロニシティと言うべき出来事が次々と起こっていきます。

シンクロニシティについては上記で少し触れましたが、著者が言う「リーダーシップ」もまた、とても示唆に富んだ内容になっています。著者が言うリーダーシップとは、「サーバント・リーダーシップ」というものです。これについてとあるエッセイを引用し、このように述べています。

グリーンリーフはこう述べている。リーダーシップの真髄は、互いに奉仕しあいたいという願望、自分たちを超えたものに、より高い目標に奉仕したいと言う願望である、と。伝統的な私たちの考え方では、「サーバント・リーダーシップ」というのは矛盾した表現であるように思われる。しかし、さまざまなつながり合いから成り立っている世界においては、関連性こそがこの世界を秩序だてる原理であり、その表現はきわめて理にかなっている。

サーバントとは奉仕者という意味です。まさに、僕たちが普段思っているリーダーとは逆のイメージですね。リーダーに仕えるのがサーバントなのでは?と思ってしまいます。しかし、そうではなく、チームのメンバーに「奉仕」し、世の中に「奉仕」することがリーダーシップである、ということのようです。

リーダーに関してはこうも言っています。リーダーシップとは、「すべきこと」ではなく「あり方」なのだと。リーダーとは何かを考える時、「リーダーとはこういう行いをすべき」という行動面からから考えるのではなく、「われわれは共同で、何を創り出すことができるか」という姿勢を持つ、高い目標に奉仕できるマインドセットこそ、リーダーシップなのでしょう。こう捉えれば、リーダーシップは特定の人しか持っていない資質ではなく、考え方を変えることによって誰もが持ち得る考え方だということが理解できます。

本書は、物語の形式をとってはいますが、単なる事実ではなくそれが意味するところも十分に語られており、とにかく理解がしやすいです。ただ、理屈ではなく感覚で理解する必要がある部分もあるので、それはこれからまた読み返し、考え、そして行動を通して身につけていきたいと思っています。

本書の内容は、以前ご紹介した「U理論」とも深い関連があります。本書の内容をさらに深め、実践的なセオリーにしたのがU理論とのことですが、U理論を理解するためのヒントとしてもとても役に立ちました。

リーダーシップ、シンクロニシティ、そして物語。一冊で三度おいしい本です。この本を読み終わった後、自分もいよいよ夢の実現に向けて動き出さなければ、という決意に近い思いに至りました。夢がある方、世の中を変えたいと思っている方にはお奨めですよ!監修者解説にも、このような人に読んでほしい、と書かれていました。

  • 夢を探している人
  • 夢を再チェックすべき中年の人
  • 「リーダーシップの旅」が自分の夢とかかわると思っている人
  • 人々とのつながりを大切にしている(もっとそうしたいと思っている)人
  • 「自己実現」や「個性化」は、理解するのも実践するのも難しいと思っている人

これに少しでも該当すると思った方は、是非読んでみてくださいね!

選択の科学

今日は、シーナ・アイエンガー 著の「選択の科学」という本をご紹介します。著者であるシーナ・アイエンガーはコロンビア大学ビジネススクールの教授で、盲目の人気女性教授として有名な人です。本書を読んだ時にはとても感銘を受けたのですが、残念ながら当時は何も記録をしていなかったので、改めて記憶を呼び起こしながら纏めてみたいと思います。

まず最初に「オリエンテーション」として、何故著者が「選択」を研究対象として選んだのかが語られます。著者は自分の人生を振り返り、運命論や偶然の産物、という観点から語ります。つまり、自分の人生の物語は生まれた時から既に決まっていたのだ、という立場(運命論)や、人生は地図のない場所を進んでいくようなもので、自分で決められることがどれほどあるのか?という立場(偶然の産物)です。

しかし、第三の物語を語ることもできる、と著者は言います。それこそが、自分の物語を「自分で選んだ」という立場で語ることです。それについて、このように書かれています。

わたしは自分の人生を、すでに定められたもの、両親の意向に沿ったものとして考える事もできた。また自分の失明と父の死に折り合いをつける一つの方法として、それを自分の意思を超えた、思いがけないできごとの重なりと見なすこともできた。しかし、自分の人生を「選択」という次元で、つまり自分に可能なこと、実現できることという次元でとらえた方が、はるかに明るい展望が開けるように思われたのだ。

このようなきっかけから、著者は「選択」をテーマに研究を進めるようになったと言います。この本では「選択」を様々な観点から考え、「選択」が僕たちの人生に与える影響に関する様々な疑問に取り組んでいます。

自分の現在の状況、つまり今までの人生の物語は自分の選択の結果である、という考え方はとてもパワフルで、主体的なものだと思います。それを自分以外の誰かに委ねたり、他人のせいにすることは可能ですが、自分の人生のコントロールが自分にないのだとしたら、前に進む活力など湧いてくるでしょうか。

「選択ができる」とは自由であるということです。そして自由には責任が付きまといます。今までの人生が自分の選択の結果だとしたら、その責任は自分にあります。しかし、これから先どうやって生きていくかという「選択の自由」もまた僕たちにあるのです。この自由と責任を受け入れて生きていくことが、自分の人生に責任を持つ、ということではないでしょうか。このように考えると、「選択」が人生に及ぼす影響は測り知れませんよね。

さて、では本書でどのような論点が語られているのか、いくつかご紹介したいと思います。

まず、選択には力があるというお話です。僕たち人間は、身体だけでなく精神をも活用して様々な選択肢から最良のものを選ぼうとします。そうした行動が現在の人類の繁栄の一因になったとも考えられますが、さらに重要なのは、人間は「選択したい」という欲求を生まれながらにして持っているということだそうです。

この「選択したい」という欲求は非常に強いため、単なる目的達成のための手段ではなく、選択すること自体が目的になってしまうこともあるそうです。例として、高ストレス環境に置かれているはずの社長が高寿命である、という話が出てきます。つまり、状況を自分でコントロールしたいという欲求があり、それが満たされていると健康にも良い影響を及ぼすということです。選択できると感じることは、それだけで大きな力を持っているようですね。

次は選択とアイデンティティの関係についてのお話です。僕たちは、アイデンティティと選択の間を行き来しているのだと言います。「自分はこういう人間だからこれを選択するべき」、「これを選択した自分とは、こういう人間である」というように。これはつまり、「選択」も「アイデンティティ」も静的なものではなく、動的なプロセスであるということです。今まで自分がしてきた選択の積み重ねが自分を作ってきたように、これから行う選択もまた未来のアイデンティティを作っていくのだとすれば、自分にとって望ましい選択をしていくことがとても重要だと思います。

「選択は創られる」という章では、僕たちが無意識に受け取っている情報に、どれだけ影響されているかということが語られています。その最たる例が広告です。そう聞くと、僕たちは自分の決定権が脅かされているような気になります。そしてそれは悪いことだと。それに対し著者は、自分の価値観を脅かすような影響と、基本的に無害な影響を分けて考えた方がいいと言っています。本当に重要な選択にのみ注意を払い、つまらない選択に悩む必要はないのでは、ということですね。

最後の章では、選択と不確実性に関する記述があります。選択に力があるのは、それがほぼ無限の可能性を秘めているからだと言います。もし仮に未来が既に決まっていたとしたら、選択には価値はありませんよね。つまり、選択の力を最大限に活用しようとすれば、この世界の不確実性を認めなくてはならないのです。そんな不確実な世界を切り開いていく武器として、また自分を形作る材料として、納得できる選択をしたいものです。

この本には、他にも「選択をしないという選択肢もある」「選択肢が多いことは必ずしも利益にならない」など選択に関する興味深い論点が沢山紹介されています。「選択」にフォーカスした本はなかなかないと思うので、興味がある方は是非読んでみることをお勧めします。内容もそれほど難しくなく、身近な例なども沢山出てくるので読みやすいですよ。

その幸運は偶然ではないんです!

今日は、J・D・クランボルツ & A・S・レヴィン 著の「その幸運は偶然ではないんです! 夢の仕事をつかむ心の練習問題」という本をご紹介します。この本の著者の一人であるJ・D・クランボルツという人は、スタンフォード大学の教育学・心理学教授で、キャリアカウンセリング理論の先駆者だそうです。

この本のタイトルを見たときに、真っ先に「セレンディピティ」という言葉が思い浮かびました。皆さんは「セレンディピティ」という言葉はご存知でしょうか?「セレンディップと三人の王子」という童話に因んで作られた言葉ですが、「偶然に幸運をつかむ能力」という意味だとされています。「能力」というからには、それを身につけることで幸運を掴める、あるいは掴みやすくすることができるのでしょうか?そこにとても興味があり、本書を手に取りました。

さて、本書の主張はまさにタイトルの通り、「幸運は偶然ではない」です。「はじめに」には以下のように記されています。

幸運やチャンス、予期せぬ出来事に関する本はたくさんありますが、この本はほかの本とは少し違います。私たちは「幸運は偶然ではない(Luck is No Accident.)」と考えているのです。
キャリアや人生を前に進めるような予想外の出来事が起きて、それが本物のチャンスに変わるときには、その人自身が重要な役割を果たしています。この本はキャリアについて書かれていますが、その内容は、人生のほかの場面、たとえば恋愛にも応用できるものだと私たちは考えています。

著者はキャリアカウンセラーですので、キャリア選択についての話題がほとんどですが、ここに書かれているようにこの本の内容はとても汎用的なもので、ありとあらゆることに応用が可能だと思います。

では、幸運は偶然ではない、とは一体どういうことなのでしょうか。必ず幸運を掴めるような決まったやり方があるのでしょうか?残念ながらそういうわけではありません。著者は、「人生には予測不可能な偶然の出来事が必ず起こるので、結果をコントロールすることはできない」とした上で、「行動次第では、その結果を望ましいものにする確立が高められる」ということが言いたいのです。

では、その行動とは、どのような行動なのでしょうか?この本の中には様々なアドバイスが含まれていますが、僕が重要だと思ったポイントを纏めてみました。

  1. 「想定外の出来事は必ず起こる」ということを理解しておく
    人生では、自分の想定していない出来事が沢山起こります。未来がどうなるかは誰にもわからないし、完全にコントロールすることはできません。全てが思い通り、という風にはなかなかいかないものだ、ということを理解しておきましょう。
    ただ、自分の行動や、物事に対する反応は自分でコントロールすることができますよね。実際には、これらが人生の方向性を決める重要な要因なのです。
  2. 想定外の出来事が起こった時の対処が重要
    想定外の出来事には、良いことも悪いこともあります。悪いことが起こった時、悲嘆にくれてふさぎ込む人もいますが、それをきっかけに建設的な行動を起こしてチャンスをつかむ人もいます。つまり、想定外の出来事が起こった時、どのように反応するかが重要なのです。逆に良いことが起こった時は、逃さずに掴み取りましょう!そのためには常にアンテナを張っておくことも重要だと思います。
  3. 積極的な行動で良い出来事を起こす
    想定外に良いことが起こった場合、それが単なる幸運や偶然とは言い切れません。大抵の場合、そうした出来事は連鎖して起こるためわかりにくいですが、本人の積極的な行動がそのような出来事を「起こして」いるケースも多々あると思います。想定外の出来事に対する反応、という受け身の姿勢だけでなく、自分から「起こす」という積極的な姿勢が重要ですね。
  4. 選択肢に対して常にオープンでいる
    著者は、「今後一切、自分のキャリアに関して意思決定をするな」と説きます。これは、複雑に変化する昨今の状況において、一つの選択にこだわり続けることは視野を狭くしてしまうということを言っています。つまり、固執することで他のより良い選択肢が見えなくなってしまうということですね。自分が見えていないだけで、実はもっともっと沢山の選択肢があるかも知れませんよ。
  5. 情熱は行動の前だけにあるのではなく、行動の結果として生まれることもある
    僕は今まで「情熱ありき」だと思っていました。が、自分の情熱がどこにあるのかわからない、と思っている人が悶々と考えていても何も始まらない、情熱は行動によって作られることもある、というこの意見はとても現実的で正しい意見だと思います。人には人それぞれの情熱があります。それを明確に認識できている人はいいですが、そうでない人はある程度方向性をつけたら先に行動を起こした方がいい、ということだと思います。
  6. 何もしなければ、何も起こらない
    未来はどうなるかは誰にもわからない、と書きましたが、例外があります。それは、何もしなければ確実に何も起こらない、ということです。つまり、何かを起こしたければ、リスクを取って行動すべきだということですね。例え失敗しても、次に何が起こるかはわかりませんし、そこから学べることもあるでしょう。失敗を恐れず、新しいことに挑戦しましょう。本当に恐ろしいのは、失敗することではなく、失敗を怖れて何もしないことなのですから。

この本には、普通の人たちがどんな行動によって幸運を掴むことができたか、というエピソードが沢山紹介されています。説明と合わせて実例を読むことで、さらに理解が深まると思います。各章の最後にはワークもついており、キャリアに悩んでいる方はもちろん、幸運を掴みたい方には是非おすすめの一冊です。是非読んでみてくださいね!

完結版マイ・ゴール

今日は、リチャード・H・モリタ 著の「完結版マイ・ゴール 成功の秘訣は“選択”そのものにあった!」という本をご紹介したいと思います。「完結版」と付けられていますが、他にも新装版、ダイジェスト版など、Amazonで探しただけでも4つのバージョンが存在します。バージョン間の違いはよくわかりませんが、完結しているのならそれを読もう、ということで完結版を読んでみました。

この本はいわゆる成功哲学、自己啓発本にジャンル分けされると思いますが、主張はとてもわかりやすく、シンプルです。「はじめに」の冒頭には以下のように記されています。

結論から。
人生は選択の連続であり、今の人生は過去の選択の結果です。
そして未来は、これからあなたがどんな選択をするのか、その選択によってすべてが決まります。
もちろん目標を達成していくプロセスにおいては、たゆみない、人一倍の努力は当然のことですが、成功と自己実現の真相には、そうした「積極的に懸命な努力をしたから」というだけでは到底説明することのできない重要な事実が横たわっています。その事実こそ“選択”の問題だったのです。

成功哲学というと、いかに成功するかという方法論だと考えがちです。つまり、どのように考え、行動すれば成功できるのか、というプロセスに着目する考え方です。しかし本書では、プロセスも勿論重要だけれども、それよりも大事なのは「どんな目標を選択するのか」なのではないか、と説いています。

著者がこのような考え方に至った経緯が本書の中でも説明されていますが、当初はやはり「どうすれば成功できるか」という論点がスタート地点だったようです。それを調べるべく、成功者にインタビューを重ね、共通項目を抽出して「究極の成功ノウハウ」を作ろう、という研究を始めました。

しかし研究を進めていくうちに、ほとんどの成功者は自分がどうやって成功をつかんだのか、その本当の理由を上手く説明できていない、ということに気が付きました。人一倍努力をした、成功した姿を鮮明にイメージした、ポジティブだった、などと答えは返ってくるのですが、よく考えてみると的確な答えになっていない。そこからさらに突き詰めていった結果、実は目標の選択そのものが成功者たちに意欲を与え、努力を引き出したという結論に達したそうです。

僕はこの考え方はとても共感できます。そもそも僕は「成功哲学」というものにあまり興味がないのですが、その理由の一つに「成功という言葉の曖昧さ」があります。何を以って成功と呼ぶのか。それはあまりにも相対的で、人によって違うのだとすれば、それに達するプロセスも違うはずではないのか。そんなわけで、成功哲学を読むときは「あくまでこの人は自分の成功の理由をそう分析しているんだな」、と参考程度に捉えてきました。

さらに僕は、目標を達成するための方法を、人は直感的に知っているのではないかとも思っています。心の底から達成したい目標があるとき、具体的な方法を調べたり、試行錯誤を繰り返しながら目標に少しずつ近づいて行こうとします。そこに多少の効率の善し悪しはあるかも知れませんが、その努力を支えるだけのモチベーションがあるかどうか、そちらの方が重要なのだと思います。

先ほどから「目標」という言葉が出てきていますが、本書ではさらにもう一歩進んだ「マイ・ゴール」というものを扱います。定義は、「個人が、これだけは絶対に達成(手に入れたい)したいと思えるもので、またその目標が自分の才能や能力に合っているもの」とされています。ただの夢ではなく、「やりたいこと」「できること」「むいていること」を一致させた、実現可能な目標とも言えます。

ただの夢ではなく、ここで言う「マイ・ゴール」を見つけるためにはどうすれがいいのか。それは、自己認識を深めることです。つまり、自分が「やりたいこと」「できること」「むいていること」をきちんと認識できているかがカギになります。本書では自己認識を深める方法として、生活史の作成を勧めています。生活史とは、今まで自分が生きてきた過去を振り返った物語のようなものです。

過去を振り返るのに消極的なイメージを持つ方もいるかも知れません。しかし、それについては以下のように書かれています。

よく「過去を振り返るな!」と耳にする。確かに過去を振り返り、過去に生きることは愚かなことだ。しかし、過去の記憶から「ありのままの自分、本当の自分」を認識し、そこから教訓や情熱を見出し、眠っていた夢を復活させていくプロセスの中でマイ・ゴールをつかみ、“これから”を生きることはとても積極的な行為なのだ。

今の自分を作っているのは過去の選択です。そしてその過去の膨大な記憶が、今の僕たちに大きく影響していることは間違いありません。しかし過去の記憶はとても曖昧なもので、時とともに事実とはズレてくることがよくあります。そんな誤った自己像から、本当に素晴らしいと思える目標を設定できるでしょうか?そう、過去にとらわれる為ではなく、自分が本当に望む未来のために、今一度過去を棚卸して自己認識を再構築する必要があるのです。

本書の中には、生活史を作るために役立つ質問集なども含まれています。また、後半は物語になっており、理論だけだとわかりにくい、という方はストーリーを通して「マイ・ゴール」とはどういうものかが理解できるようになっています。ここに紹介しきれなかった様々な論点があり、度々「なるほど!」と思わされました。「成功哲学」には興味はあるけどなんか胡散臭い、と思っている方には本当にオススメの一冊です。是非読んでみてください!

U理論

今日は、C・オットー・シャーマー 著の『U理論 過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術』という本をご紹介したいと思います。最近の僕は「人が変わる仕組み」について知りたいと思っていて、この本の副題には興味をそそられたので読んでみました。

実際に読み始めるまで、どんな内容の本なのか全く把握していませんでしたが、これはなかなか強敵でした。内容が600ページ近いというのもさることながら、言葉では説明しにくい部分を文章で説明しようとしていて、かなり難解でした。一度読んだだけでは100%腑に落ちた感覚になるのは難しいですが、何らかの問題意識を抱えていて、世の中を変えたいと思っている人にとってはとても重要なことが書かれている気がします。

また読み返したいと思っていますが、とりあえず一度読み終わった段階でこのU理論というものが何なのかを僕なりにまとめてみたいと思います。

この本は、現代に生きる僕たちが抱えている諸問題(個人的なものも、社会的なものも含めて)はどんどん複雑性を増しており、今までのやり方で解決することは難しい、という問題提起から始まっています。今までのやり方とは、「過去から学ぶ」というやり方。つまり、過去から学んでいるだけでは、今僕たちが抱えている諸問題を解決することができないということです。そうではなく、僕たちは「未来から学ぶ」必要があるのだと著者は言います。その手法を体系化したのが本書で扱っているU理論ということになります。

さて、この「未来から学ぶ」という言葉。いきなり難解ですね。それが何かを結論づける前に、U理論のプロセスを簡単に辿って行きましょう。

僕たちは何かを解決しようとするとき、「過去に似たようなことがなかったか」という観点で考えることが多いですよね。その過去のケースが上手くいったのならば、今回もそれと同じ方法で解決できるのではないか、こう思います。或いは、そんな思考すら通さず、習慣的に対応することさえあります。しかし、今僕たちのまわりで起こっていることは、あまりに複雑で状況も刻々と変わっているため、このような「過去から学ぶ」やり方では通用しません。

この「過去から学ぶ」という行為を、この本では「ダウンローディング」と呼んでいます。既に確立されている解決策を、そのままダウンロードして適用する、というイメージなのでしょう。このダウンローディングを止めるというのが、U理論のスタート地点です。

ダウンローディングを止めるということは、起きている現象をステレオタイプとして捉えるのではなく、「観察する」ということです。「ゼロベース」という言葉にも似ていますが、要は先入観を捨てることが重要です。先入観を捨てることで、今まで見えていなかったものが次々と見えてくるようになります。

しかし、あるものを「観ている」という状態は、自分がその内部にいないことを意味しています。つまり、自分が「観ている」ものは、自分とは区別された何かであり、自分の外で起こっていること。当事者意識を感じられていないんですね。しかし、問題を解決するためには、自分がその問題を引き起こしている状況の一部であることを「感じ取る」必要があります。つまり、視野が自分という個人から全体へと移る、これが次のステップです。

さて、ここまで来てやっと、「未来から学ぶ」ための準備が整ったことになります。「感じ取る」の次のステップを「プレゼンシング」と言いますが、この言葉の意味は「出現しようとしている未来の可能性を認識すること」です。この解釈は特に捉えどころが難しいので、かなり自分の解釈が入っていますが、つまり以下のようなことだと思います。

今までのプロセスで、ステレオタイプ的なものの見方を止め、自分を当事者として認めました。しかし、既にダウンローディングは止めてしまっているので、過去の解決策をそのまま持ち込むことはできません。つまり、問題をどう解決するかを「自分の頭」で考えなくてはならないのです。これは言いかえれば、「どのような未来を描き」、「その未来に対して自分がやるべきことは何なのか」を明らかにすることでもあります。

「どのような未来を描き」、「その未来に対して自分がやるべきことは何なのか」。この問いに答える為には、自分は何者なのか、をきちんと認識している必要があります。自分のことをよくわからなければ、どんな未来になって欲しいか、それに対して自分に何ができるか、はわかりませんからね。つまりここで、「思い描く未来像」と「自己の本質」が深い部分で繋がることになります。だいぶデフォルメしていますが、これが「未来から学ぶ」ということだと僕は解釈しました。

この「プレゼンシング」以降は、実際に行動に移していくプロセスです。出現する未来の可能性を元に具体的な未来像を構築し(「結晶化」)、試行錯誤を繰り返し(「プロトタイピング」)、最終的に実行に移していく(「実践する」)。それぞれに論点はありますが、もっとも分かりにくく、かつ重要なのはやはり「プレゼンシング」の部分でしょう。

なかなかすんなり入ってきにくいですが、U理論の概要はこんな感じです。この本では、難しい言葉も沢山出てきますが、このU理論が様々な観点から繰り返し説明されているので、なんとか読み進めていくことができます。実例なども数多く紹介されているので理解の助けになってくれると思います。

付け加えるなら、全部で21章まであるうちの20章までは理論的な説明がほとんどなので、「じゃあ一体どうすればいいの?」というストレスを抱えながら読むことになります。しかし、最後の章を読んで印象は一変しました。この章は「プレゼンシングの原則と実践」というタイトルなのですが、マニュアルのような形式でU理論を実践するためのステップが説明されています。これはとてもわかりやすく、実践の手引きとしても、理論の具体的理解にもとても役立ちます。

最初にも書きましたが、世の中を変えたい、組織を変えたい、自分を変えたい、という問題意識を持っている方にとっては、今までにない考え方が紹介されている良書だと思います。そして、直感的にこれは、これから先の時代を生きていくにあたってとても重要な考え方だと感じています。確かに読むのは大変ですが、特に組織や社会を変えたいと思っている方は是非読んで頂きたい一冊です。

ハーバード流 自分の潜在能力を発揮させる技術

今日は、マリオ・アロンソ・ブッチ 著の「ハーバード流 自分の潜在能力を発揮させる技術」という本をご紹介したいと思います。この著者は、ハーバード大学メディカルスクールの特別研究員で、医師としてのキャリアがある人です。元々はストレスが消化器系に与える悪影響についての研究をしていたらしいのですが、最近は研究対象を脳の機能へと広げているそうです。

この本、タイトルからは自己啓発的な内容の本かと思ってしまいますが、特に序盤には脳の話が沢山出てきます。ちょうど最近脳関連の書籍を読み漁っていたので、知っていることも多かったのですが、本書の真骨頂は、脳に関する知識を踏まえて、その先どうする?という部分です。脳の専門書と自己啓発書の中間、つなぎ役的な立ち位置の本だと思います。僕も脳に関する知見をどうにか生活に取り入れられないものかと考えていたので、とても参考になりました。

この本での中心的な論点は、「左脳が作り上げた自己イメージ」だと思います。以前の記事にも書きましたが、僕たちの左脳は言語や発話、高度な知的行動に特化した大変優れた器官です。そして、「自分に対するイメージ」を作りだしているのもこの左脳でした。

さて、この自己イメージ。統合された自己という概念は、必要なものではあるのですが、自己イメージに逸脱するようなことに対する抵抗感、つまり自分の限界を設定しているのも左脳なのです。人は、何か新しい環境に適応するとき、右脳が活発になります。そして右脳によって新しい環境に適応するパターンが発見されると、それが左脳に格納されます。要するに、左脳は定型化が得意なのです。

これを考えると、新しいことをやろうと思った時になかなか踏み出せない、居心地のいい状況に甘んじてしまう、という僕たちの性質がどのような仕組みで起こっているのかよくわかる気がしますね。

この自己イメージ、本書の中では「アイデンティティ」という言葉で説明されています。アイデンティティはとても重要な概念なので、関連書籍を別途ご紹介したいと思いますが、ここでは自己イメージという意味だと思って下さい。この自己イメージ=アイデンティティについてもう少し深堀りしてみましょう。

まず、理解しなければならないのは、アイデンティティとは固定されたものではなく、日々変わっていく動的なものだということです。アイデンティティは、自分が置かれている環境や関わった人たちから情報を得ながら、徐々に構築されていきます。注意しなければならないのは、このアイデンティティが本当の自分ではないということです。だって、本当の自分が環境や周りにいる人で決まるというのは、おかしいですもんね。

殻を破る、という言葉があります。僕はブレイクスルーと呼んでいますが、ある人がちょっとしたきっかけから刺激を受けて、今までの自分を軽々と越えていく場面を僕は沢山見てきました。つい先日も、一緒に働いている仲間が、ブレイクスルーを感じた、と言っていました。

彼は、ずっと自分の仕事に対して、このままでいいんだろうか?という悩みを抱えていました。さらに最近の彼は、複数のプロジェクトを同時に抱えていて、精神的にも肉体的にもとても追いつめられていました。そこで、ある種の「開き直り」のようなものが発生したのでしょう。彼はとても思慮深い男なので、今までは良かれと思う事も空気を読んで敢えて言わない、という所があったのですが、ふと「自分はこうした方がいいと思う」ということをぶちまけてみたそうです。それがスタッフの緊張感を高め、結果的に仕事の質が上がり、お客さんの評価も上がった。そして彼の自信につながり、ついには「自分はこれでいいんだ」と思えるようになったということです。

本書にも似たようなことが書いてあります。

人は「もうここまでだ」「これで終わりだ」「こんなことはこれ以上続けられない」という境地に達しないと、勇気を出して未知の世界へ飛び移ろうなどとはなかなか考えないものだ。それでも、ちょっとしたことや人との出会いから刺激を受けて、破れないと思い込んでいた殻を破り、新しい自分になって羽ばたくケースがある。

では、意識的にブレイクスルーを起こすことはできるのでしょうか?そのヒントは、「無自覚の行動を自覚した行動に変えていかないと本当に自由になることはできない」という本書の記述の中にあります。人間の行動のほとんどが無意識に行われていることはご存知でしょうか?そのような自動操縦モードで使われるのは、自己イメージだとすれば、意識して行動を変えていかなければ変われるはずがありません。

本書には、無意識の行動を意識的な行動に変えていく戦略についても示されています。キーワードになるのは、「注意」「言葉」そして「身体」です。それぞれ簡単に紹介しておきますね。

注意に関しては、僕たちは事実を見ているわけではなく、「見たいものを」見ていることを理解する必要があります。従って、注意を向ける先を変えない限り、ものの見方が変わることはあり得ません。

次に言葉。言葉には力があります。スピリチュアルな意味ではなく、実際に言葉と情動は脳の中で結び付けられています。そして人は、アイデンティティを語る時にも言葉を使いますよね。その言葉の使い方次第によって、自分像は大きく変わってしまいます。

最後に身体。脳関連の書籍を読むと、身体と脳のつながりはとても深いことがわかります。例えば運動が身体にいいのはなんとなく理解していても、理由は気分転換くらいしか思いつきませんよね。しかし、運動をすることによって脳の色々な部分が変わっていくことがわかってきています。例えば、身体を動かすことで感情が安定し、多少のことでは動じなくなる、なんてことも起こっているそうです。食生活や呼吸も考え方や認識に変化を及ぼすそうですよ。

「注意」「言葉」「身体」について変えていくことで、自己イメージの一歩外に出ることができれば、今までとは違う世界が広がっているかも知れませんね。是非到達してみたいものです。

さて、如何だったでしょうか?脳に関する知見を人生に活用する、という観点でよく書かれている本だと思います。ここで挙げたポイント以外にも、様々な論点や逸話などが紹介されており、面白いです。分量もそれほど多くないので、すぐ読めてしまいます。もっと詳しく知りたい方は、是非読んでみてください!

脳の中の身体地図

今日は、サンドラ・ブレイクスリー & マシュー・ブレイクスリー 著の「脳の中の身体地図―ボディ・マップのおかげで、たいていのことがうまくいくわけ」という本をご紹介します。この本は親子(共にサイエンス・ライター)で書いているようです。サンドラ・ブレイクスリーは先日ご紹介した「脳のなかの幽霊」の共著者でもあります。

本書は、ライターが書いただけあって、このブログでご紹介した脳関連の本(「脳のなかの幽霊」「人間とはなにか?」)の中では一番読みやすかったと思います。これらの本と一部内容は重複するところがありますが、違う人が書いたものを読むことでさらに理解が深まりました。脳関連で面白い本を読みたいという方には、気軽にお奨めできる一冊だと思います。

さて、本書のタイトルにもなっている身体地図。本書に書かれていることを理解するには、この身体地図とは何かを理解する必要があります。著者によれば、脳の中はまさに「地図」だらけなのだそうです。地図とは、現実世界の縮小版で、地図上の点と現実世界の一点が対応しているものです。それと同じ様に、脳には身体のあらゆる点がマッピングされています。例えば、誰かに肩を叩かれたとします。そうすると脳の特定の領域にある神経細胞が活性化します。

実はこの地図、沢山の種類があります。前述した地図は触覚マップと言われる身体に対する触覚情報に対応する地図でした。運動マップという別の地図もあります。これは皮膚からの入力を受けるのではなく、筋肉に信号を送ります。例えば足を伸ばすと、足に対応した運動マップの足の領域が活性化します。これ以外にも、意図のマップ、行動能力に関するマップ、まわりの人々の意図と行動を追跡するためのマップ、などなど。本書ではこれらを比喩して、「身体の曼荼羅」という言葉で説明されています。

実は、このマップで本当に様々なことが説明できるのだそうです。この本では、以下のようなことが説明されています。

  • あくびがうつるわけ
  • 痛みが気分次第で変わるわけ
  • ビデオ・ゲームにはまるわけ
  • オーラが見えたり、体外離脱したりするわけ
  • メンタル・トレーニングがよく効くわけ
  • スポーツや音楽の達人がうまくいかなくなるわけ
  • 減量に成功しても太っていると思うわけ

などなど。話題が身近なものなので、とてもとっつきやすく、読んでいて面白いです。これらを読み解く上でキーワードになってくるのは、前述したマップは勿論ですが、それに加えて可塑性(かそせい)という特性があります。この可塑性は簡単に言えば、脳が新しいことを学習するたびに新しい神経接続ができ、既存の接続が強化されていくことです。つまり、脳の中のマップをどんどん書き換えていく性質です。これが脳の驚くような柔軟性を生み出しているひとつの理由だと思います。

では、上記の中で僕が面白いと思ったトピックをいくつかご紹介したいと思います。まずはメンタル・トレーニングについて。運動をやる人が、実際に体を動かす以外にメンタル・トレーニングをやって成績が上がるという話があります。メンタル・トレーニングには色々なものがありますが、特に効果があるのが運動イメージ法と呼ばれる方法です。いわゆるイメージ・トレーニングですね。

イメージ・トレーニングをしている時、脳の中で何起こっているのでしょうか。実は、イメージ・トレーニングを行うだけで、実際に運動しているのとほぼ同じ脳領域が活性化するのだそうです。つまり、脳から見ればイメージするのも実際に運動するのもほぼ変わらないということです。実際に検証すると、運動イメージ法を5日間続けた場合、身体的練習の3日分に相当したそうです。さらに、運動イメージ法5日間に身体的練習1日を組み合わせたところ、身体的練習の5日分に匹敵する効果が出たそうです。これは侮れませんよね。

ところで、体外離脱という言葉をご存じでしょうか?これは寝ている時などに自分の体から抜け出すような感覚のことを言うのですが、実は僕もこれを経験したことがあります。夜中にふと目が覚めると体が動かない状態だったのですが、しばらくすると、すっと体から抜け出して自分がベッドで寝ているところを真上から見下ろしているような感覚になりました。夢じゃないかと思いましたが、妙にリアルに感じました。この体外離脱について面白い記述があります。

とあるてんかん患者の治療のために、脳のさまざまな場所に電気刺激を与えていた時のことです。突然患者が、「天井に上ってしまった」と言いだしたそうです。患者が感じる空間内の位置と目に見える空間内の位置が電気刺激によって一致しなくなり、そのズレを説明するために脳が出した答えが「天井から見下ろしているように感じる」なのだそうです。普通の人でも血流の変化などによって起こることがあるらしいですよ。

ミラー・ニューロンについての章も面白いです。ミラー・ニューロンは人類を進化させた最大要因の一つとされている神経細胞のことで、自分で行動するときも、他人が行動しているのを見るときも、共に活性化する性質があります。つまり、他人の行動を見ただけで、自分が行動しているときと同じ様な反応が起こるのです。この細胞のおかげで、僕たちは模倣や共感など、様々な能力獲得したのだと言われています。

最後の章では、情動について触れています。僕たちは情動を心が感じている、と思っていますが、この本によれば、情動は身体から感じているのだそうです。そしてこの情動は、理性と切り離すことができないほど密接に影響し合っているのだそうです。このことが、「感情抜きにして」何かを決断することの難しさなのでしょうね。切り離すことができないのならば、むしろ積極的に感情に従ってみるといいのかも知れません。

情動は、たとえ意志の力でねじ伏せようと、意志決定のプロセスから本当に切り離すことはできない。新しい証明の道筋を立てようとしている数学者ですら、個人的な野心や好奇心、そして、ときとして背筋がゾクゾクするような、プラトンの言うところの数学そのものの美のイデアがない交ぜになった情動に突き動かされている。

あとがきにも重要なことが書かれています。この手の本ではお決まりの、「自己の概念」についてです。他のいくつかの本でも見てきたように、この本でも「自己は突き詰めて言うと錯覚に過ぎない」と書かれています。しかし、その錯覚について、こうも言っています。

自己は錯覚だと言っても、あなたが存在しないわけではない。また、自由意思は錯覚だと言うのも、あなたが選択できないという意味ではない。自己と自由意思が実は、”エンド・ユーザー”であるあなたの観点からそう思えるものとは異なっていることを指して、錯覚と言っているのだ。

そう、裏の仕組みがどうなっていようと、それを使っているエンドユーザーである僕たちには、依然として自分は自分だし、意識も感じられるということです。脳には無数の神経細胞があり、それがお互いに接続して自分という一つの「システム」を作り出している。そのシステムが、なじみのある「自分」というものを作りだしているのだとしたら、それはそれで凄いことだと思いませんか?

如何だったでしょうか。繰り返しになりますが、ちゃんとした研究に基づいた脳関連の書籍は難解なものが多いなか、この本はとても読みやすく、かつ面白いです。興味のある方は是非読んでみてくださいね!

ザ・ビジョン 進むべき道は見えているか

今日は、ケン・ブランチャード 著の「ザ・ビジョン 進むべき道は見えているか」という本をご紹介したいと思います。この本は、先日ご紹介した「1分間アントレプレナー 黄金の起業法則」の著者が書いたビジョンについての本です。

この本も「一分間アントレプレナー」と同じく、物語形式で書かれており、とても読みやすいです。基本的にはビジネス書ですが、勿論ビジネス以外にも応用できると思うので、「ビジョン」について知りたい方にはどなたにでもオススメできる本だと思います。

ストーリーの流れは以下のような感じです。しかし、ただのストーリーではありません。ビジョンとは何か、そしてそれをどうやって作り、伝え、現実のものとしていけばいいのかという流れで話が進んでいきますし、所々にまとめ的な記述も出てきます。

思いもよらない夫の浮気、そして突然の別れ・・・専業主婦として夫や子どものためにのみ生きてきた主人公は、シングルマザーとして実社会に身を投じることになる。そして勤め先で、のちにメンターとなる魅力的な男性と出会い、ビジョンをもつことのすばらしさに目覚めていく・・・。(訳者あとがきより)

そもそも、ビジョンって良く聞きますけど、何となくつかみどころがないような気がしませんか?主人公たちも、その状態からスタートしていきます。試行錯誤を繰り返しながら、ビジョンの姿をクリアにしていき、そして最終的に行きついた結論は、

ビジョンとは、自分は何者で、何をめざし、何を基準にして進んでいくのかを理解することである。

という定義です。ここには、三つの要素が含まれています。

  1. 有意義な目的
    上記の定義で言えば、「自分は何者で」の部分になります。これは言い換えれば「自分は何のために存在するのか」、つまり存在意義を問うている部分です。ここでのポイントは、目的の内容そのもの、つまり「what」も重要ですが、「なぜ」の部分、「why」も極めて重要であるという点でしょう。
  2. 明確な価値観
    順番は前後してしまいますが、上記の定義で言うところの「何を基準にして」という部分です。価値観とは、「自分は何を基準にして、どのように生きていくのか」という問いに答えるもの、あるいは目的を達成するために日々どのように過ごすのかのガイドライン、とされています。つまりこれは「how」の部分になります。
  3. 未来のイメージ
    主人公たちは「目的」「価値観」がビジョンを作る上で重要だと気付くのですが、それだけでは何か足りないと感じます。それは、それだけでは目指す方向がはっきりしないということでした。そこで出てくるのが「何をめざし」の部分です。言い換えれば、最終結果に到達した際にどのような未来が待っているかの明確なイメージです。イメージの力は強力です。特に会社のような複数人で構成されている組織では、目的だけでなく具体的な結果を共有しないと、なかなかコントロールが難しいですよね。これが「where」の部分になります。

さて、ビジョンの三要素が出揃いました。基本的にこれを踏まえればビジョンは作れます。しかし、自分が作ったビジョンが要件を満たしているかというチェックリストが本に書かれていました。非常に有用だと思ったのでご紹介したいと思います。

  • そのビジョンは、自分たちの使命をはっきりさせてくれるか。
  • そのビジョンは、日々の決断を正しく行っていくための指針になりうるか。
  • そのビジョンは、めざすべき未来を目に見えるような形で描いているか。
  • そのビジョンには永続性があるか。
  • そのビジョンには、ライバルに勝つだけというだけではない、何か崇高なものがあるか。
  • そのビジョンは、数字の力を借りずに、人々に活気を吹き込むことができるか。
  • そのビジョンは、あらゆる人の心と精神に訴えかけるか。
  • そのビジョンは、ひとりひとりに自分の役割を自覚させるか。

基本的にビジネス向けなので複数人の組織を想定していますが、「自分に」と読み替えれば応用が可能だと思います。

さて、ビジョンが出来てもそれを実行できなければ何の意味もありません。それを実行するに当たって、二つのヒントが紹介されていました。

  1. ビジョンから目をそらさないこと
  2. 一身を投げだす勇気を持つこと

一番目の意味するところは、ビジョンに基づいて行動しなさい、ということです。しかし、何があっても最初に決めたビジョンに固執しなさい、ということではありません。むしろ逆で、ビジョンを実現するための計画や、場合によってはビジョンそのものを変更した方がいいケースも出てくるでしょう。そんな時は、ビジョンを修正して、またビジョンに沿って行動するようにしましょう、ということだと思います。自分が根ざす軸があるのとないのとでは大違いですからね。変える必要があるなら、軸そのものを変えればいいのだと思います。

そして二番目は勇気です。何かを踏み出す際には必ず必要になりますよね。行動をうながす方法論については、過去のエントリでもいくつかご紹介してきました。しかしそれらは、「行動しやすくする」ことはできても、自分を強制的に行動に駆り立てるものではありません。やはり最後は「よし!」と決めて自分から動き出すことが必要だと思います。そこに必要なのは、飛び込む勇気なのでしょうね。

さて、ビジョンについてご紹介してきましたが、かなりざっくりと纏めてしまったので、それぞれが意味するところの詳細が気になる方や、話の「流れ」が気になる方は是非本書を手にとって読んでみてください。皆さんも是非、ご自分のビジョンを考え、行動に移してみてくださいね!

人間らしさとはなにか?

本日は、マイケル・S・ガザニガの「人間らしさとはなにか?」という本をご紹介したいと思います。この本は、非常に哲学的なタイトルがついていますが、昨日ご紹介した「脳のなかの幽霊」と同じく脳神経科学の本です。この著者もまた、脳神経科学でとても有名な人なのだそうです。

この本はタイトルの通り、人間らしさとは一体何か、ということについて書かれた本です。特に、他の動物と比べてどこが人間を人間らしくさせているのか、という視点が強調されているように思います。

本書は、人間の脳はユニークなのか?という問いから始まります。科学者の間では、身体を見た時に人間が他の動物と違う、というのは割とすんなり受け入れられるそうですが、では、脳は?と聞くと、議論になると言います。大きさが異なるだけで本質的には変わらないとか、哺乳類の間であればニューロンはニューロンだ、とか。しかし著者は様々なデータから、やはり人間の脳はユニークな特徴をたくさん持っているのだと考えます。では、人間を人間らしくさせているその違いとは、どのようなものなのでしょうか?

この違いについて、さまざまな観点から検討がなされています。他の動物が「心の理論」を持つかどうかに始まり、コミュニケーション、社会性、道徳、共感、芸術・・・というように視点は多岐にわたります。その中でも、僕が特に面白かったと感じたのは「意識」ついての章です。少し難しいのですが、僕なりの解釈で要約してみますね。

まず、意識とはどんなものなのでしょうか。著者は、「大企業のトップのようなもの」と言っています。脳の中には、本当に様々な機能がありますが、それらのほとんどは、僕たちが気づかないうちに、つまり無意識のうちに処理されています。その中で意識の上に上がってきたものについて、僕達は「意識的に」処理するわけですが、それがあたかも、部下が働いている間にゴルフのコースに出ている大企業のトップのようだ、というわけですね。

では、無意識下の処理のうち、意識上がってくるものとはどんなものなのでしょうか?様々な刺激が意識に到達するには主に二種類あるのですが、そこには「注意」が深く関係しています。一つは、意識的に注意を向けるということ。例えば、「よし、今から仕事の事を考えよう」というのは自ら仕事に対して注意を向けていますね。それとは逆のパターンもあります。例えば仕事のことを考えている時に火災報知機が鳴り響いたケースがそれにあたります。火災報知機の警報音を聴いて注意が奪われ、そちらに意識が向きます。

意識にはまだまだ謎があります。私たちは「自分自身」という感覚を持ちます。これは自分を意識する、ということに他なりませんが、この自分自身という感覚はどこから来るのでしょう?無数の情報を一つに統合し、自分という感覚を作り上げているものは何なのでしょうか?

その答えは、左脳にあるのではないかと著者は言います。右脳・左脳という言葉は聞いたことがありますよね。人間の大脳は右脳(右半球)と左脳(左半球)に分かれています。右脳は顔の認識と注意の集中と知覚による識別に、左脳は言語と発話と知的行動に特化しているそうです。

ここで分離脳患者の話が出てきます。分離脳患者とは、右脳と左脳をつなぐ脳梁という部分が切断された患者のことです。彼らには何が起こるのでしょうか?それぞれの脳が連携できなくなるので、お互いの脳はもう片方の脳半球で何が起きているかを知る事ができなくなってしまいます。

分離脳患者に関する興味深い実験があります。彼らの右脳に、「笑え」という命令を出します。患者は笑い出しますが、右脳と切り離されている左脳の言語中枢は、何故笑っているかの理由を知りません。その状態で患者になぜ笑っているのかをたずねると、「わからない」とは言わず、何とかつじつま合わせて笑っている理由を答えるのだそうです。

左脳には、このような解釈装置としての働きがあるそうです。そしてその機能は、脳への様々な入力を「解釈」し、一つの物語に統合するために使われていると考えることができます。つまり、私たちが「自分は統合された一つのものである」という解釈を、左脳が作っているということです。

解釈装置がなくても機能している脳に解釈装置が加わると、多くの副産物が生まれる。事柄と事柄の関連を問うことから始める装置、いや、数限りない事柄について問い、自らの疑問に対して生産的な答えを見つけられる仕組みがあれば、おのずと「自己」の概念が生まれる。その装置が問う大きな疑問の一つは間違いなく、「これだけの疑問を、誰が解決しているのだろう」だからだ。「そうだな・・・それを”自分”と呼ぼう」。

そう、「自己感覚」は副産物だと言っているのです。これは衝撃的ですよね!僕たちは「魂」や「心」と言った言葉を使います。これは、ある意味では身体とは別の「本当の自分」がどこかに存在しているという風に解釈することもできます。が、上記の話だと「本当の自分」は左脳が生み出した幻ということになります。これを始めて読んだ時は僕もちょっとショックを受けました。

しかし、最近はこう思うようになりました。例え「本当の自分」を作り出しているのが左脳だとしても、それが解釈装置による副産物だとしても、僕が統一された自己としてここにいるという「感覚」そのものは僕の脳の中で確かに存在し、自覚しているのです。ならば、それはそれでいいのではないでしょうか。それを「副産物」と呼ぼうが、「心」あるいは「魂」と呼ぼうが、いいと思います。重要なのは、それを踏まえて、どうよりよく生きるかということなのですから。最後に、結びの言葉を紹介しておきます。

私の兄は人間の(動物との)相違点のリストを次のように締めくくった。「人間はコンピューターの前に座って、生命の意味を見出そうとする。動物は与えられた命を生きる。問題は、そういう人間と動物とでは、どちらが幸せかということだ」
もう十分だろう。私は外に出て、ぶどう畑の手入れをするとしよう。ピノ種のぶどうがほどなく上質のワインになる。自分がチンパンジーでなくて、なんとありがたいことか!

さて、如何だったでしょうか。この記事でご紹介した「意識」の論点以外にも、人間のユニークな所が色々と紹介されています。500ページを超える大作ですが、脳について深く知りたい方にはお奨めの一冊です。是非読んでみてください!

脳のなかの幽霊

今日ご紹介する本は、V・S・ラマチャンドラン 著の「脳のなかの幽霊」です。ラマチャンドラン博士は視覚や幻肢でとても有名な神経科学者です。本書は、そのラマチャンドラン博士が様々な神経疾患を持つ患者に対して行った実験の内容を元に、一般の人向けに書かれた本です。

一般向けに平易に書かれているとは言え、ボリュームも多く、何も考えずに気楽に読める本ではないと思いますが、それでもページをめくるのが止まらないほどに面白いです!脳の仕組みに少しでも興味がある方には、この本は最高だと思います。ユーモアも効いており、途中何度も笑ってしまいました。

さて、人間の脳。とても複雑な仕組みを持っていることは間違いないですが、その多くはまだ解明されていません。そして、脳や心の研究がまだ初期段階であり、物理学で言うところの一般相対性理論のような統一理論を組み立てられる段階ではないと著者は言います。そうした状況では、とにかく「あれこれやってみる」のが一番いいのだそうです。その言葉の通り、本書の中には様々な実験とその考察が含まれています。

この本の中には、僕が聞いたこともないような症状を持つ患者の例が沢山登場します。

  • 腕や足が生まれつきない、または事故や病気で失ったにも関わらず、「ある」と感じる幻肢。幻肢を持つ患者の一部は、ないはずの腕や足に激しい痛みを感じることもあるそうです。存在しない手足の痛みをどう直せばいいのか?う~ん、確かに。
  • 脳の障害などで片側の視野が失われているにも関わらず、見えないはずのものを正確に掴める、盲視。この現象について、著者は脳の中にいる無意識のゾンビが動きを誘導しているようだと言っています。
  • 緑内障や白内障などが原因で視力が弱くなった人たちがおそろしくリアルな幻覚を見るという障害、シャルル・ボネ・シンドローム。この幻覚は、患者がコントロールできないのだと言います。この障害を持つ患者は、診察の際、「先生の膝の上に猿が座っています」と述べたそうです。
  • 脳の損傷等により、自分の左側に対してまったく無関心になってしまう半側無視という現象。この患者は、食事の際にも自分の左側にあるものに気付かないし、鏡に映った自分の顔の左側にも気付かないため、右側にのみ化粧をすることもあるそうです。

などなど、これ以外にも沢山の不思議な現象が登場します。その現象を読むだけでもとても興味深いのですが、それには留まらず、それらの患者への様々な実験を通して、人間の脳の一般的な仕組みを検証していく部分が最高に面白いです。

ところで、皆さんは「クオリア」という言葉をご存知でしょうか?クオリアとは、主観的感覚とも言いますが、簡単に言えば、「赤い」「暖かい」「冷たい」「痛い」などの感覚のことです。このクオリアに関しては、目や指から脳に入力された神経インパルス(電流)が、なぜ目に見えない感性や感覚に変わるのか、という問題があまりにも不可解なため、問題であることを認めない人もいるそうです。

本書の最終章では、このクオリアにも話が及びます。クオリアとは一体何なのか、そして何のために存在するのか、という点についてもきちんと言及されています。そしてさらに、クオリアと切っても切れないものがあります。それは、そのクオリアを実際に感じている私、つまり「自己」という概念についてです。この「自己」についての洞察も、とても興味深いですよ。

本書の最後には、こう記されています。

自分の人生が、希望も成功の喜びも大望も何もかもが、単に脳のニューロンの活動から生じていると言われるのは、心が乱れることでもあるらしい。しかしそれは、誇りを傷つけるどころか、人間を高めるものだと私は思う。科学は―宇宙論、進化論、そしてとりわけ脳科学は―私たちに、人間は宇宙で特権的な地位などを占めてなどいない、「世界を見つめる」非物質的な魂をもっているという観念は幻想にすぎないと告げている(これは東洋の神秘的な伝統であるヒンドゥ教や禅宗が、はるか昔から強調してきたことである)。自分は観察者などではなく、実は永遠に盛衰をくり返す宇宙の事象の一部であるといったん悟れば、大きく解放される。また、ある種の謙虚さも養われる―これは真の宗教的体験の本質である。

脳と心には様々な議論がありますが、とても科学者らしい主張ですね。その結果が、仏教に通じるものがある、というのは面白いです。

僕個人は、この本に書かれているような素晴らしい知見を、人間がよりよく生きるためにどう活かせるかにとても興味があります。僕は人間の行動とは、入力に対して処理をし、出力することだと考えているのですが、このプロセスで中心的な役割を果たすのが脳だと思います。その脳に関して次々と新しいことがわかってきています。であればそれを活用しない手はありませんよね。

さて、この本は是非皆さんにも読んでいただきたいので、あまり詳しい紹介は避けましたが、如何だったでしょうか?文庫版も出ていてお手頃価格ですので、興味があったら是非手にとって読んでみてください。「脳」に対する考え方が変わるかも知れませんよ。